ならばリリー・フランキーになれない僕は、もっと手堅く攻めた方がいいだろう。王道すぎず、ゆるすぎず。そうだ、絵本なんてどうだろう。大人があえて絵本を読むというのは何となく洒落ているし。坂口健太郎も勧めていたし!!

と、もはやその本を本気で勧めたいかどうかよりも、その本を勧めたことによって自分がどう見えるかばかりに関心がいってしまう。つくづく自意識が過剰なのだ。

 

たぶん自分に自信がある人は、いちいちそんなことを考えない。そういえば、昔、ある若手俳優に取材したとき、「映画が好きで、年に100本は観てます」とうれしそうに話してくれた。そこで、「じゃあ生涯ナンバーワンの映画は?」と聞いたら、彼の答えは『アルマゲドン』だった。

 


そのとき、この子には勝てないと思った。

もちろん『アルマゲドン』はいい映画である。ハリーが最後に娘のグレースとテレビ電話をするところは何度観ても泣ける。

しかし、いかんせんメジャーすぎるのよ。あれだけヒットして、泣ける映画と喧伝されて、みんなが横一列になって並ぶ姿を見たら、エアロスミスがかかるか、『Gメン'75』が出てくるかで世代がわかるような映画を、生涯の1本にはなかなか選べない。

これが「あんまり映画は観ないんですけど……」という前置きがあっての『アルマゲドン』ならまだわかる。可愛いねって微笑ましくなる。「年に100本は映画を観ている」というマニアアピールをした上での『アルマゲドン』だから厄介なのだ。ねえ、コーエン兄弟とかじゃなくていいの……?

でも逆に言うと、彼はそういう見られ方をまったく気にしていなかったと言える。純粋に『アルマゲドン』が好きで好きでたまらないのだろう。その「好き」は、何を選んだらセンスがいいと思われるかをひたすら計算しまくった僕のこざかしいラインナップよりずっと信用できる気がする。

いつからこういう「どの映画が好き?」とか「どのバンドが好き?」みたいな質問は、その人のセンスを占う踏み絵になってしまったのか。マイナーよりメジャーな方がエラいこともなければ、メジャーよりマイナーな方がオシャレなわけでもない。みんな、自分の好きなものを堂々と好きだと言えばいいのだ。

そう頭ではわかっているものの、やはり生涯ナンバーワン映画を『アルマゲドン』と言える明快さは僕にはない。それはもはやリリー・フランキーになるよりよっぽど難しいことのような気がしてきた。
 

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

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