同じ人を愛している他人との、名もなきつながり。『エゴイスト』


愛がお題の作品では家族ものが定番ですが、そもそも家族ってなんでしょうね。家の族ですよ。イエ制度が人を幸せにしないことがわかっているのに、まだ家族という。血族から自由な場所でカゾクを持つ人も増えているいま、選べなかった家族の苦しみと同時に、私たちはカゾクを選ぶ不安とも生きていかなくてはなりません。2本目に見た作品ではそんなことを考えました。第16回アジア・フィルム・アワードにおいて宮沢氷魚さんが見事受賞した助演男優賞をはじめ3部門ノミネートでも話題の『エゴイスト』です。

鈴木亮介さんと宮沢氷魚さんの素晴らしさはもう、とにかく見てください。ただし全編手持ちカメラなので、大画面で見ると人によっては激しく船酔いします。自信のない人は酔い止めを飲むか、最後列に座ってカメラの動きに合わせて上体を左右に振りながら見るなどの工夫が必要でしょう。

 

性愛で結ばれる関係は、他人同士です。相手だけを見ていればいいときもあれば、相手の家族が絡んでくることもあります。というとたいてい義理の父母との面倒なあれこれを連想しますが、視点を変えれば同じ人を愛している他人という見方もできますね。私の好きなこの人を、やっぱり愛しているあの人。私はこの人と他人として出逢い性愛を介して親密になり、あの人は親子として出会い養育を通じて関係を深めてきた、と。私は夫と出会ったときにはすでに義理の父母が他界していたためそうした関係を経験したことがないのですが、もしも息子たちにパートナーができたら「同じ人を違うつながり方でとっても大切に思う見知らぬ人」との初めての出会いを経験することになります。
 

鈴木亮平さん×宮沢氷魚さんインタビューはこちら
前編 
「ゲイと公言すると出世に響く」鈴木亮平と宮沢氷魚が得た現実への気づき【映画『エゴイスト』インタビュー】>>

後編 鈴木亮平と宮沢氷魚が考える愛の答え「お互いNGラインをわかっているからこそ愛を交わせる」【映画『エゴイスト』】>>


『エゴイスト』は、実在した人物の自伝的小説が元になっており、見る人ごとに、恋愛とかセクシュアリティとか経済格差とか性をめぐる力学とか親子関係とか、いろいろな文脈を複数掛け合わせて違う見方をする作品だろうと思います。どの要素に最も深い思い入れを持つのかは人によって異なると思いますが(そしてそのような見方のできる作品だから素晴らしいのですが)、エブエブとは全くテイストも設定も異なる作品でありながら、これもやはり私にとっては、愛ってなんだかわからないけど、人と人の間には(ときには死者との間にも)名状し難い温かい通い合いが生まれることがあるよね、それに名づけをしないでも、人は幸せになれるのではないかしら?という希望を感じさせてくれる物語でした。

あくまでも、私にとってはそれがもっとも強く印象に残ったということです。映画館のあちこちから啜り泣きが聞こえてきましたが、きっと涙の理由はいろいろでしょう。その分だけみんな思い入れの強い作品だと思うので、もしかしたら知り合いに何気なく感想を話したら「その見方はわかってない!」などと言われることもあるかもしれません。仲良く議論ができる人と、鑑賞後にじっくり話してみるといいかもしれません。

エブエブでの全く予期せぬ理由のわからぬ落涙と、エゴイストでの赦しにも似た落涙と、感触は違うけど、きっと私にとっては同じ気づきがあったのだと思います。それは、人はつながってしまうということ。意識してつながろうとするのでも、無理やりつながらされるのでもなく、人はどうしようもなく、誰かとつながってしまうのですね。だから辛いし、だから生きていける。

個別の体を生きているようでも、もしかしたら私たちは森の地下でつながっているキノコみたいに、他者と分離できない運命にあるのかもしれません。
それゆえの地獄と、それゆえの救済があることを改めて噛み締めながら、一人の部屋からの夜景を今夜もじっと眺めています。
 

 


前回記事「「仕事人として失格」と子育て中に感じたら思い出したい3人の成功。こんまり、アーダーン、カイッコネン【小島慶子】」はこちら>>