苦しむイタリアの奥底から吹き出る膿

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数年前のこととはいえ、遠くイタリアでも今の日本と同じように政治は混迷し、国民は拭いきれない疲弊感を抱えていたことを、内田さんの言葉からは窺い知ることができます。

内田さんが船上で暮らした6年間で出会った、「船に乗れれば、もうそれで十分です」と語る男性。昼食に招待してくれた、浜辺で出会った女の子の祖母。幼い頃から一緒だった「ピノッキオ」の人形を、難民の子に譲ったという駅夫の娘――。本書に登場する“魅力的な、普通の人々”の物語に対して、政治からくる国民の苦悩を描いたコラムは多くはありません。だからこそ、人々の営みのすぐ側で横たわる大きな影に、思わず目を見張らずにはいられません。

前述した2つの事件、それを取り巻く国民感情について、内田さんは次のように述べています。


最初はローマから、そしてみるみるうちにイタリア各地に急速に拡散しているのが、
「大衆こそ正義だ。政治家を排除して、大衆が直に治める社会を」
とする、イタリアの現行ポピュリズムである。

「イタリアを守るためには、難民を受け入れてはならない」
右ポピュリズム派が難民排斥を掲げると、
「すべての人々に自由と平和への扉は開かれるべき」
左革新派が反発する。現在イタリアには、総人口6000万人のうち10パーセントに迫る数の欧州圏外からの移民(難民、亡命者、不法入国者を含む)がいる、と試算されている。

私もこのうちの一人だ。
「善人ぶった左派が、無審査、無政策で難民を受け入れ続けた結果、ナイジェリア人にイタリア女性が殺害されたではないか。左が殺したようなものだ。イタリアを返せ」
と右が言い、
「右派は人種差別主義を煽り、イタリアをファシズム時代に後退させようとしている。罪のないアフリカ人を狙い撃ちにするような暴力は、右派の洗脳のせい。憎しみをイタリアから排除しよう」
と左が言う。

海に囲まれたイタリア半島に異教徒が上陸し、あるときは侵攻し、あるときは異文化交流で新局面を展開してきたのは、何もこの数年のことではない。ひとつの絶対的な勢力にまとまらないことはイタリアの弱点ではあるが、翻ってそこから生まれるカオスは最大の強みでもある。

マチェラータで続けて起きた兇悪(きょうあく)犯罪2件に、苦しむイタリアの奥底から吹き出る膿を見る。
――『イタリア暮らし』より(『Webでも考える人』2018年2月23日掲載のコラム「強烈な春一番」)

内田さんが捉える、“ふだん着”のイタリアだからこそ見えてくる等身大の姿。
観光するだけではわからない、人々の苦悩も喜びも、本書ではありありと描かれています。

 


内田洋子(うちだ・ようこ)さん
1959年、兵庫県神戸市生まれ。東京外国語大学イタリア語学科卒業。通信社ウーノアソシエイツ代表。欧州と日本間でマスメディア向けの情報を配信。2011年、『ジーノの家 イタリア10景』(文藝春秋)で日本エッセイスト・クラブ賞、講談社エッセイ賞をダブル受賞。他の著書に、『カテリーナの旅支度 イタリア 二十の追想』『どうしようもないのに、好き イタリア15の恋愛物語』『対岸のヴェネツィア』(集英社文庫)、『ミラノの太陽、シチリアの月』『ボローニャの吐息』『海をゆくイタリア』(小学館文庫)、『皿の中に、イタリア』(講談社文庫)、『イタリア発イタリア着』(朝日文庫)、『ロベルトからの手紙』、『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(文春文庫)、『十二章のイタリア』(創元ライブラリ)、『デカメロン2020』(方丈社)など多数。訳書に『パパの電話を待ちながら』『緑の髪のパオリーノ』『クジオのさかな会計士』『キーウの月』(ジャンニ・ロダーリ著 講談社文庫)など。2019年、ウンベルト・アニェッリ記念 最優秀ジャーナリスト賞を、2020年、イタリアの書店員が選ぶ文学賞 第68回露天商賞授賞式にて、外国人として初めて〈金の龍賞〉を受賞。

『イタリア暮らし』
著者:内田洋子 集英社インターナショナル 1980円(税込)

イタリアにわたり40年余り。ジャーナリストの内田洋子さんが、普段の生活の中で見た風景、人々との交流を丁寧に描き出す。賑やかな街並み、窓辺に落ちる光、髪を踊らせる風――イタリア各地の特色を肌で感じられるかのような克明な描写に、心癒される一冊。2016〜2022年にかけて新聞・雑誌・ウェブに寄稿した文章から厳選したエッセイ集。


構成/金澤英恵