過酷だったプレハブ小屋生活


──貧しいご家庭で育ったとお聞きしましたが、どんな状況だったんでしょうか?

河井ゆずるさん(以下:河井):3歳で父親がいなくなりました。買い物行くって言ったまま帰ってきてないです。貧しかったですけど、草を食べないといけないとかそんなことはなかったです。母親が飲食店をやっていたからか、食べるものにも困って、飢えてというのだけは絶対にさせへんっていうのがあったみたいで。野球のユニホームとか制服とか体操服が先輩のおさがりだったということはありましたけど、全然嫌じゃなかったです。ただ、18歳で繁華街にある雑居ビルの屋上に建てられたプレハブ小屋に住むことになって、それがきつかったです。母親がプレハブ小屋があるビルの管理をしながら掃除のおばちゃんをするという仕事に就いて、そのかわりにそこに住むという感じでした。物心ついた頃にはそこに住んでいたなら、また違ったかもしれませんけど、18歳っていう一番多感なときに、モップとかほうきが入っている小屋を見せられて、明日からここはあなたの家だよって言われた時に、何言うてんねんって言いましたよね。

 

──プレハブだと、エアコンも効かないですよね?

河井:もうやばかったですよ、マジで。24時間クーラーつけてないと、本当に倒れる。冬は冬でもう外より寒いです。だから寝るときもダウンを着て、新聞紙とダンボールを敷いてました。

 

──18歳からはアルバイトをされていたと思うんですけど、ご自身だけ家を出るという選択肢は考えたりはしなかったんでしょうか?

河井:考えましたよ。でも弟がまだ高校生だったので、この子を置いて母親とふたりにはできないなって思ったんです。