前回のコラムでは、現実を無視した子供放置禁止の条例案が可決寸前まで進んだ出来事について書きました。たまたま条例案の内容が大きく報道されたことから、条例案は撤回に追い込まれましたが、一連の報道がなければ可決されていた可能性は、それなりに高かったと言ってよいでしょう。

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法律や条例といった「法」は、私たちの生活に大きな影響を与えます。その成立過程や中身について国民や市民が知ることは極めて重要ですが、言葉で言うほど簡単ではありません。なぜなら法律や条例の成立過程は、多くの人にとって馴染みのないものだからです。

今回、話題になったことで初めて条文を見た人も多いと思いますが、その中身は驚くほどシンプルなものでした。

問題となった「埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例」。全体で3ページしかなく、この後には自民党県議員52名の名前が並ぶのみ。原文は現在も埼玉県議団HPから閲覧可能。


条例案では、100メートル先の隣近所に回覧板を届けに行く場合でも、子供を家に残した場合には虐待に該当すると定義されており、子供だけで公園で遊ばせることや、18歳以下の子供に小さい子供を預けて外出することも禁止というかなり異様なものでした。

しかし、可決寸前までいった条例案の文面には、直接的にそのような内容が書かれているわけではありません。

放置禁止について定めているのは「児童を現に養護する者は、当該児童を住居その他の場所に残したまま外出することその他の放置をしてはならない。」という一文だけです。この文面を見ただけでは、今回のような現実離れした条例案であるとは誰も思わないでしょう。

法律や条例というのは、文面自体はシンプルに作られていることがほとんどであり、執行に関しては、条文には記されていない、ある種の実施基準に基づいて行われます。つまり法において大事なのは、その文面だけでなく、法をどう解釈し、具体的にどう執行するのかという部分なのです。

一連の基準は、法律や条例を国会や議会で審議する過程で徐々に固まっていきます。逆に言えば、国会や議会での議論が不十分で、国民や市民に情報が共有されないまま審議が進んだ場合、多くの人の生活を圧迫するような法律や条例が、知らない間に通ってしまうこともあり得ます。法律というのはしばしば悪用されるものですから、十分な注意が必要なのです。

大げさに聞こえるかもしれませんが、そうではありません。

 
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