テレビ朝日の人気アナウンサーとして18年半、報道番組からバラエティーまで幅広く活躍されていた大木優紀さんが昨年、海外旅行予約アプリ『NEWT(ニュート)』のPRに転身して話題となりました。女性の憧れの職業の1つであるアナウンサー、大企業、安定した高収入という環境を捨て、スタートアップ企業に、という大胆な転身の裏側には一体何があったのでしょうか。そして転職してから待ち受けていた壁と新たに見えた新しい人生の形とは? インタビューで2回にわたりお聞きします。

 

大木優紀(おおき・ゆうき)さん
海外旅行予約アプリ『NEWT』PR。1980年、東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後テレビ朝日入社。2度の産休、育休を取得しながら18年半アナウンサーとして『GET SPORTS』『やじうまテレビ!』『くりぃむナントカ』『スーパーJチャンネル』など担当。2021年にテレビ朝日を退社し、2022年令和トラベルに広報として入社、2023年4月より執行役員に。小学生の長女・長男の2児の母。

華やかな民放キー局のアナウンサーが、なぜスタートアップに?


――アナウンサーという職業は非常に狭き門で、女性にとっては現在も憧れの職業ですが、なぜ転職という道を選ばれたのでしょうか。以前から転職したいというお気持ちがあったのですか。

 


大木優紀さん(以下、大木) アナウンサーを辞めたいと考えたことは、実は全くありませんでした。私はもともと、3日間休みが取れたらニューヨークに行ってしまうほどの海外旅行好きなのですが、それを仕事にしようといった気持ちはなかったんです。

コロナ禍で旅行ができなかった2021年、たまたま篠塚(現令和トラベル社長の篠塚孝哉さん)が書いた海外旅行事業の立ち上げへの熱意に満ちたnoteを見つけ、一気読みしました。あえてこの苦境の時期にこんな考え方をする人がいるんだ、この事業に関わりたい! という気持ちが高まり、数週間考えてから求人の応募フォームを埋めて送信したんです。

――「40代での転職は厳しいのでは」と躊躇する女性も多いと思いますが、年齢的な面で悩まれたりはされましたか。

大木 年齢については特に考えていなかったのですが、私自身にとっては40歳というタイミングがベストでした。これ以上遅かったら、もしかしたら動きにくくなっていたかもしれないです。転職する際にテレビ朝日の上の方々とお話したのですが、ある上司が「率直な気持ちとして、羨ましいね。君ぐらいの年齢のときだったら確かにそういう選択肢もあったかもしれないな」とおっしゃってくださったのが印象的です。

不満ではなく「出会ってしまった」から飛び込んだ


――YouTubeなどの影響でテレビが軽視されつつある。そこに危機感があったとか、そういうことではなかったのですね。

大木 もちろん、テレビ業界全体の空気で危機感みたいなものは感じる部分もありましたが、個人として転職のきっかけになったというのはなかったですね。業界の外に出てみたら、その巨大なメディア力を再認識する部分もありました。

テレビ朝日のアナウンサーだった頃に、スタジオで撮られた一枚。(写真提供:大木優紀さん)

――キャリアを重ねる中で、自分はもっとこんなことがしたい、でもここではできない、というフラストレーションのようなものもありませんでしたか。

大木 自分で企画を出し、取材に行くという経験もさせてもらえましたし、やりがいもありました。私の中でアナウンサーのいいところは、バラエティー、スポーツ、報道、情報といろんなジャンルを担当できて、社内転職を繰り返すような側面があることだと感じていて。飽き性の私でも18年半も続けられたのは、やっぱりアナウンサーという仕事が楽しかったからだと思います。

だから、仕事や会社に対してうつうつとしたものが原動力にあったのかというとそうではなく、それよりも自分にとって魅力的なものを見つけてしまって、それはアナウンサーと両立できないものだった、という感覚が大きいです。