あらゆるものを失う、老いの過酷な現実

 

老人デイケアのクリニックに勤務していたとき、私は先にも書いた通り、利用者さんのテーブルをまわって順番に、「調子はどうですか」と聞いていました。「大丈夫です」と言う人もいましたが、大半は何らかの症状を訴えます。

 


「腰が痛いんです。3日ほど前から痛くてたまりません」「なんや息をするのがしんどくて」「足がむくんで抜けるようにだるいんです」「目ヤニが出て、耳からも耳だれが出て」「便が硬くて、力むと脳の血管が破れそうで」「オシッコのにおいがきつくて」「夜になかなか寝つけんで、寝たと思うたらお便所に行きとうなって」

40人ほどの高齢者の苦しみを聞いてまわるのは、かなりのハードワークでした。なにしろ簡単には治らないことばかりなのですから。しかし、これらの訴えは年を取ればある程度予測可能なものばかりです。頭でわかっていても、自分のこととしては受け入れがたいのでしょう。

人はだれでも、年を取れば足が弱るし、手がしびれて、息切れがして、身体が動きにくくなり、眠れなくなったり、尿が出にくくなるのに夜はトイレが近くなったり、お腹が張るのにガスは出ず、出なくていい痰や目ヤニやよだれが出て、膝の痛みに腰の痛み、嚥下機能、消化機能、代謝機能も落ちたりして、身体が弱るものです。そうなるのが自然なのに、それを受け入れるのは簡単ではありません。

老いるということは、失うことだとも言われます。体力を失い、能力を失い、美貌を失い、余裕を失い、仕事を失い、出番を失い、地位と役割を失い、居場所を失い、楽しみを失い、生きている意味を失う。

そんな過酷な老いを受け入れ、落ち着いた気持ちですごすためには、相当な心の準備が必要です。