2019年、テスが16歳の時のことです。何度もトイレに行くようになったため、膀胱炎を疑って病院に行きました。その時は抗生剤を打って症状が落ち着いたのですが、やがて、夜中に暴れ出して大きな奇声を発するようになりました。再び病院に連れて行って血液検査をしたところ、甲状腺機能亢進症と診断されました。同時に、腎臓の数値もよくないことも明らかになりました。

それから毎週1回病院に通って点滴を受け、自宅では1日2回、朝晩に薬を投与。ご飯に混ぜても食べてくれないので、膝の上に仰向けに乗せて、顎を軽く押さえて口が開いた瞬間に薬を投与する方法を編み出しました。テスの病気が発覚するまでは、シッターさんにお世話をお願いして旅行や帰省することもありましたが、外泊は一切できなくなりました。これは今も続いています。

あと、病気が発覚してから、「ペット保険に入っておくべきだった」と思いました。今、猫を飼っている人には「入ったほうがいい!」と声を大にして言いたいです! テスの命はお金にはかえられないとはいえ、今まで病院にかかったお金を計算するとすごい金額になっていたからです。

ある時、テスの犬歯が伸び始め、ぐらついて抜歯をする羽目に。その後も歯周病などに悩まされて、痛みでご飯が食べられない時期も。歯の悩みは人間と同じ。お手入れ大切!

2021年の時、テスがてんかんを起こしたり、おもらしをしたり、ほとんど食べなくなったことがあり、病院の先生に相談したところ、「腎不全ステージ4で、あと3ヵ月の命でしょう」と余命宣告を受けました。実はこの先生の治療方針には以前から疑問に思うことがあり、大きなショックを受けたと同時に、「なんでこんなことを平気で言うのか?」と怒りを覚えました。

それでも、長く通った病院だったので通い続けていたところ、別の先生に変わりました。そのタイミングで、テスの負担軽減を第一に考えて治療方針を見直し、薬は甲状腺と高血圧の2種類の薬だけに減らしました。

こちらは若かりし頃の、避妊手術を終えたばかりのテス。瞳の色が光の加減によって、緑に見えたり、黄色になったり。きれいな瞳は今も変わらず

テスの病気が発覚してから、「ちゃんと食べて、ちゃんと出すものを出してくれさえすれば大丈夫」と思えるようになりました。なので、テスがご飯を食べなくなったら、カリカリを小さく砕き、ウエットも食べやすいようにほぐし、あまり多くはあげられないけど、テスの大好きな鰹節や菜っ葉などを入れて、少しでも食べたくなるような工夫をしました。便秘気味なところがあるので、お腹のマッサージもしています。

 


サプリメントの類はいまいち信用していなかったのですが、アンチノールを与えるとよいと聞き、あまり期待せずに試してみたらメキメキと食欲が回復して毛艶がよくなってきたので驚きました!

テスがこれだけ頑張っているのだから、私はテスができなくなったことを代わりにしてあげようと思うようになりました。毛づくろいができなくなってきたので毎日ブラッシングをして、高いところに登って外を眺められなくなったので、テスをだっこしてベランダから外の景色を眺められるようにして日向ぼっこを楽しみます。

毎年、冬を迎える前、日差しのあったかさを感じようとするように、このような仕草をするテス。この仕草を見ると、冬が来たね、また一緒にぬくぬくしようね、と感じるHさん

私がこうしていろいろやることは私のエゴであって、テスに負担をかけているのかもしれないと思うことがあります。でも、初代のゴンちゃんの時に何もできなかったという後悔の念があるせいか、やっぱり私はテスのために惜しみなく、できる限りのことをしてあげたいのです。

単に“親バカ”なのかもしれないのですが、猫って、年を取れば取るほどどんどんかわいくなっていくんです。私が仕事から帰ってくると、テスはずっと私のそばにいて、トイレにもついてきます。夜はもちろん一緒に眠ります。テスの温もりを感じながら眠ることができるのは本当に幸せな瞬間。テスがいなくなったら私はどうなってしまうのか、と不安になるくらい、私も一緒にいることで心の平安を保てています。

余命宣告をされても、がんばって生きてます。テスの存在にHさんは救われている

5月に21歳になるテスは、人間でいうと100歳ほど。テスは家族の誰よりも長く一緒に、寄り添って生きてくれています。余命宣告を受けてから3年、なんとか命を長らえてくれているテス。彼女が痛くないように、そして幸せであるように、私にできることは何でもやる。テスとの時間が少しでも長く続きますように。日々、その鼓動が動いてくれていることにホッとし、感謝しています。


イラスト/Shutterstock
文・編集/吉川明子
 

 

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