日常にこそきらめきを見出す。俳優・坂口涼太郎さんが、日々のあれこれを綴るエッセイ連載です。今回のエッセイは前回の続き、「5分後に餅を提供スピリッツ」です。長いロケバス移動中に落涙したワケがついに明らかに。

 

私の三半規管はデリケートで、移動中のロケバスでは本も読めない。執筆もできない。そうなると眠るしかないのだけど、一日12時間睡眠、昼の2時起きの私でも「主人公の後ろで赤ちゃんを抱いている」という数分の撮影をしただけでは3時間眠り続ける睡眠力はチャージされておらず、頑張っても1時間ほどで目が覚めてしまうのよね。眠ることについては並々ならぬ思いを持って取り組む私やのに不覚やわ。

そんな反省を噛み締めつつ、ロケバスの中で泣く泣くスマホを開いてみれば今ご一緒している狩山俊輔監督の映画「メタモルフォーゼの縁側」を発見して観始めると、そこには宮本信子さんがいらっしゃって、なんとも穏やかでチャーミングなおばあちゃんを演じていらっしゃり、その佇まいがほんまに素敵で、私は気がつけば宮本信子さんが映るたびに蛇口がひねられたように両目から流水ならぬ流涙していて、ロケバスの暗闇の中で拭くこともなくひとりだらだらと流涙。洋服をびしょびしょに浸涙させていた。

私にもおばあちゃんがいて、私はおばあちゃんのことが大好きやった。

おばあちゃん家に行けば、煮物たべる? おひたしたべる? ひじきたべる? お寿司たべる? 天ぷら揚げようか? おにぎり握ろうか? と食べきれないほどの料理を出してくれて「おばあちゃんありがとう、でももう食べきれないよ」と言った5分後には「お餅たべる?」と聞いてくるような絶大なホスピタリティーを持つおばあちゃんは小さなスナックをやっていて、クローゼットにはスパンコールやレースやファーが施されたすてきな洋服がたくさんあって、こどもお涼はそれを着てちゃぶ台の上で踊ったり、襖を劇場の幕のように開けたり閉めたりしながらおばあちゃんに向けてスペシャルステージを披露していた。

そして、クローゼットを漁っては「これちょうだい」と言い、おばあちゃんがもう着なくなったすてきな洋服たちを譲り受け、ファッションのトレンドとは循環していて、まさにこれ今のトレンドやけど誰とも被らへんやん、と喜びながら質がよくてタイムレスなおばあちゃんのおさがりを今でもよく着ています。

最愛のおばあちゃん。

そんなおばあちゃんはある日病院に行けば乳がんであることがわかって、しかもがんの転移はもう結構な段階に達してしまっているようだった。
 

 


おばあちゃんは「ごめんなさいねえ。もっと早く気づければよかったのにねえ。ごめんねえ」と私たちに何度も何度も「ごめんねえ」と言っていたけれど、なんもごめんじゃないし、だれも悪くないし、おばあちゃん謝らんといて、しんどいのはおばあちゃんなんやから、謝ることなんてないんやよ、と心の中で思ったり、時折言ってみたりした。でも、スーパーホスピタリティーの持ち主であるおばあちゃんは自分がいなくなること、みんなにいろいろと迷惑をかけてしまうことへの申し訳なさみたいものがプライドに反しているのか、ごめんねえ、わるいわねえ、とやっぱり何度も言っていた。

おばあちゃんはその後、副作用のある延命治療よりも残りの時間をできるだけ快適に過ごせるような治療方針で、通院しながらできる限りこれまで通りに自宅で暮らしたり、元気があるときは行きたいところに行ったりして過ごし、診断を受けてから2年半生きてくれた。私たち家族はその2年半の間にちゃんと全身全霊で、思い残すことがなくなることなんて私はあり得ないと思うけれど限りなく思い残すことがなくなるぐらいおばあちゃんに対して、ありがとう、大好きだよ、愛してるよ、今までほんまにほんまに全てのことにありがとう、と伝えた。おいしい料理も食べきれないほど振る舞ってくれて、きれいな服や食器もお小遣いも会うたびくれて、私にもみんなにも与えて与えて与え尽くしているおばあちゃんは私の女神であり一生の指針、理想の人であり、私もおばあちゃんみたいにみんなにそうやって心を尽くしてホスピタリティー全開で生きていきたい。もういいよと言われた5分後に餅を提供するスピリッツで人と関わっていきたい。そのおばあちゃんのスーパーホスピタリティーを受け継いで、その流派を私が生きている限りこの世に残していくよ。ほんまにほんまにありがとう。

 
  • 1
  • 2