節電生活に端を発して、ほぼすべての家電を捨てただけでなく、50歳にして勤めていた会社までも辞めてしまった“アフロの稲垣さん”こと稲垣えみ子さん。その模様を綴った三部作とも言える著書『魂の退社』『寂しい生活』『もうレシピはいらない』が話題になっている。前編では、お金で得られる幸せに疑問を抱き、会社を辞めることになるまでの経緯を伺ったが、「お金=幸せ」という図式の呪縛から逃れることができたのは、思い切って冷蔵庫を捨てたことにあったそう。中編では、まさに現代食生活の生命線ともいえる冷蔵庫を捨てて見えたことを教えてもらった。果たして稲垣さんが、冷蔵庫を失って得たものとは……!?

稲垣えみ子 1965年生まれ。愛知県出身。一橋大学卒業後、朝日新聞社に入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て、論説委員、編集委員を務めるも、2016年1月に退職。夫なし、子なし、冷蔵庫なし、仕事もしたりしなかったりのフリーランスな日々を送っている。著書に『魂の退社 会社を辞めるということ。』、『寂しい生活』(ともに東洋経済新報者)、『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』(マガジンハウス)などがある。
 


「足りている」と思えると与えたくなる


 この日取材で訪れたのは、稲垣さんが気に入って毎日のように通っているというブックカフェ。マスターが集めたこだわりの雑貨や本、そしてピアノまでもが、雑然としているようで一つの統一感を持って置かれ、そのバランスの良さが何とも心地よい。撮影を終え席につきインタビューを始めようとすると、稲垣さんは突然「これ、良かったら」と白いレジ袋を渡してくださった。中には美味しそうなバケットサンドウィッチが。

「これ、近所の大好きなお店のサンドイッチで、よくお土産に差し上げているんです。こんなことをするようになったのは実は会社を辞めてからで、会社員時代は高い給料をもらっていたにもかかわらず、お金で幸せを得られると思っていたので、『人に与えると損をする』としか思っていませんでした(笑)。でも今は、まさかの清貧生活が好きになってしまったおかげで、お金を使う場面がめちゃくちゃ減ってしまって、その分、自分の好きなお店のものを人に差し上げて喜んでもらうことに使おうと思うようになった。そうすれば、それをもらった人が『いいな』と思って買うようになってくれるかもしれない。すると、私の好きなお店が儲かって繁栄する。私も嬉しい、もらった人も嬉しい、お店も嬉しい。最高じゃないかと。で、それを実行していたらお店の人にすごく喜ばれて、最近はしょっちゅうおまけでケーキやクッキーをもらう。ますますお金が減らない(笑)」

 実際、稲垣さんのくださったバゲットサンドウィッチは想像以上に美味しく、近くに来たときはまた購入したい!と強く思った。

「是非買ってください! でも本当に、こんなやり方を思いついてから、すごくお店の友達が増えました。考えてみれば、これまでずっと、一円でも安く買い叩くことが『おトク』だと思っていました。でもそんな客を、お店の人は好きになりませんよね。どんどん人間関係が悪くなる。でもそんなやり方を少し変えるだけで、まさかの“いい人”になれたんですよ。これまでも自分はいい人のつもりでいたけど、今思うと全然いい人じゃなかった(笑)。で、そんなふうに変わることができた大きなきっかけを与えてくれたのが、冷蔵庫との決別でした。自分でもまさかこんなことになるとは想像もしていなかったんですが」


冷蔵庫が自分のサイズを見えなくする

 それにしても稲垣さんは、そもそもなぜ冷蔵庫を捨てることになったのだろう? 節電のためなら、何もそこまでする必要はなかったと思うのだが……。

「お金や電化製品を捨てることは、その分、生きるスキルを一つずつ取り戻すことだと知った」と語る稲垣さん。

「節電を始めたのは、原発事故がきっかけでした。あまりの惨事に、原発はやっぱり無理だろう、やめなきゃいけないだろうと。でも原発反対をいうなら、原発がない暮らしが実際どういうものかを体験しなければ何の説得力もないと思って、電気の使用量を今の半分にしよう、と決めたんです。当時私が住んでいた神戸では、電力の半分が原発で作られていたので。で、こまめにプラグを抜いて待機電力を減らしたり、お風呂の後はタオルで水滴を拭いて換気扇を回さなかったりと、地道に努力を重ねました。……が、翌月の電気代を見てびっくり。減っているどころか、微妙に増えていたんですよ!」

 このやり方ではどんなに頑張っても電気を減らすことはできない……。そこで稲垣さんは思い切って発想を変え、「電気はないもの」として暮らすことを決意したのだそう。家に帰っても電気はつけず、やがて電化製品を一つ、また一つと捨てていくことに。電子レンジ、こたつ、ホットカーペット……、そして最後に、大いなる勇気を持って捨てたのが冷蔵庫だった。すると稲垣さんは、想像もしなかった“本当の自分”を教えられることに。

「冷蔵庫がないとですね、食材が買えないんですよ。保存できないから。そうするとその日調理する分だけを買うようになるんですけど、それがびっくりするほど少なかった。せいぜい食材1つか2つ。カゴもいらない。『自分が生きていくのに必要なものってこんなにちょっとだったんだ……』とショックを受けたんです。それまでの私は、食材に限らず何でも、欲しいものを買っていた。で、いつも『まだ足りない』と感じていた。でもそうじゃなかったんですよね。私に足りないものなんて実はほとんどなかったんです。冷蔵庫をなくしてみて、生まれて初めて自分の「身のほど」を思い知った。思えば冷蔵庫が自分のサイズを見えなくさせていたんですよね」


最小限の暮らしはとってもクリエイティブ!

 そこから会社を辞めることになった経緯は前編でお伝えしたが、その後稲垣さんは、家も自分のサイズに合わせて引っ越すことを考え始める。しかしそれは、ずっとステップアップを目指してきた稲垣さんにとって、初めての“下りる”という体験。「みじめな気持ちで暮らすことにならないか」と恐れ、藁をも掴む思いで江戸東京博物館に行ったのだそう。

「もともと時代劇が大好きで、そこに出てくる庶民が暮らしていた貧乏長屋がずっと気になっていました。だってものすごく小さな家で物も全然ないのに、なぜかみんなワイワイと楽しそうに暮らしているじゃないですか。ドラマだから本当にそうだったかどうかはわかりませんが……。でもそこに何かのヒントがあるように思って、見に行ったんですよ。で、すごい勇気を得ました。貧乏長屋って、広さは四畳半くらいで押し入れもないんです。でも昼は畳んだ布団を端に寄せて衝立てで隠し、ちゃぶ台を置いて食事をしたり、仕事の作業場にしたり、何通りにも変換させていた。土間の火元も一つだから、効率よく調理するには相当なスキルがいる。小さい家で暮らすって、クリエイティブな能力をものすごく鍛えることだ!と思ったんです」

 また当時は、トイレも各家にあったわけではなく共同。長屋の外に設置されたその便所を見て、次のように思ったという。

「これを維持するには、きっと掃除当番があって、でも中には絶対に守らないヤツとかもいたと思うんです。そんなときも『しょうがないわね』と誰かがやったり、『こらっ!』とやらせたり、何とか上手くやっていたはず。そのコミュニケーション能力を想像したら、現代人とは比べものにならないくらいレベルが高かったんじゃないだろうかと。あと、体験で棒手振りの天秤棒もかついでみたんですけど、すごい難しいんですよ。っていうかそもそも重くて持ち上げるだけでも大変。あんな重くてユラユラするものをバランス良く担いでスタスタ歩いていたなんて、その身体能力たるや、もうオリンピック選手レベルじゃないかと。で、それを普通の庶民ができていたわけですよね。振り返って、我々はどうなんだと。便利になることは、こういったスキルを一つずつ失っていくことでもあったんだなと。それなら私が今からやろうとしている生活は、みじめどころかそのスキルを取り戻すことなんだと、俄然ファイトがわいてきた」

昼間はほぼ毎日カフェで過ごし、仕事場替わりに使わせてもらっている。こちらのカフェでのお気に入りは、ごぼう茶。

“ないこと”はむしろクリエイティブ。いざモノに満たされた生活から降りてみたら、その面白さに気づいたという稲垣さん。そこで最終回となる後編では、そんな稲垣さんの“ない生活”実践編として、実際に長屋のような部屋で最小限のモノで暮らしてみて得たものについて教えてもらった。そこには、お金では絶対に買えない幸せがあった!

前編はこちら>>
後編はこちら>>

今回のインタビューの完全版がこちらの三部作!

 

退社を決意するまでの経緯を綴った
『魂の退社 会社を辞めるということ』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)東洋経済新報社

朝日新聞社という誰もがうらやむ会社に勤めながら、退社を決意したその理由とは? 稲垣さんが「お金=幸せ」という考え方を変えていく詳細な心理過程が描かれていて、40代以降の人生について考えさせられる1冊だ。
 

 

冷蔵庫を捨ててみて見えたものとは!?
『寂しい生活』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)東洋経済新報社

節電生活の末、会社を辞めた稲垣さん。一つ一つ家電を捨てるまでの経緯と、その後の生活の詳細、そして冷蔵庫のない暮らしから得たものについて綴った1冊。便利の象徴である電化製品は、実は私たちから多くのものを奪っていた、と気づかされる。
 

 

読めば絶対に実践したくなる!
『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』

稲垣 えみ子 著 ¥1400(税別)マガジンハウス

冷蔵庫を捨てたことで、食品の保存ができなくなった稲垣さん。そんな生活から編み出された「旨すぎる」食卓とは? 1食平均200円。準備時間は10分。お金も労力もかからなくて大満足できる究極のメニューをたっぷり紹介!
 

撮影/横山翔平(t.cube)  取材・文/山本奈緒子 構成/大森葉子(編集部)