「プレッピー」という言葉に初めて出会ったのは、中学3年生の時でした。部活を引退した夏、兄の本棚にあったファッション誌をなんとなく見ていて「なんだこれ?」と思った記憶。大げさにいうと、これが僕にとってのファッションの原体験でした。

アイビーの本家本元であれば、ローファーはホースビットではなくペニーローファーですし、デニムジャケットではなく紺ブレ、シャツはボタンダウンであるべきなのですが……。

初期の「POPEYE」や「Hot-Dog PRESS」にがっつり影響された父親のせいか、気づけば幼い頃から僕の土日の“お出かけ着”は、きまってブルックスのボタンダウンシャツかラルフローレンのポロシャツといった、もろアイビールックでした。当時は(髪型を含め)いかにも「おぼっちゃん」な格好をさせられるのがすごく嫌だったのを覚えています。

高校、大学と成長していく過程で、服に興味を持ち始め「プレッピー」の意味を辞書で調べる(笑)ところから始まり、「トラッド」のマナーを知り、「アイビー」の歴史について深く掘りました。ルール(型)を知った上での"ハズシ"(型破り)をするおもしろさ、先人たちが作ったそれをさらに(良い意味で)崩すというプレッピーの精神。知れば知るほどその虜になっている自分がいました。

父親の一張羅だったというVANのダッフルは、20年近く経った今でも問題なく着れる現役選手。やや肩が落ちる作りになっていて、むしろ今っぽいのかも。
「VANが先生だった」という有名なコピーがあるほど、当時の日本のアイビーブームの象徴とも言えるブランドだったそうです。

NYに留学する前「これ、持ってくか?」と照れくさそうにくれたこのVANのダッフルコートは、父親も卒業旅行でNYに着ていったという。なんか悔しいけど、素直にカッコいい。回りまわって、いまはアイビーも、アメトラも「おぼっちゃん」みたいな格好も嫌いじゃない自分。

この父親のおさがりのコートを着ると、幼いころに着させられていた服や親の趣味は、意外と自分のファッションのルーツになるのだな、としみじみ思います。年中サッカーしかしていなかった丸焦げの少年に、せめて格好くらいはきちんとさせようと(笑)、「おぼっちゃん」な服を着せてくれた両親に、今では感謝しています。

「アイビールック」や「アメリカントラッド」なんていうファッションの概念は、実は日本人が作ったものであり、当時のアメリカ人にとってはファッションでもなんでもない普段着だった。その概念がファッションとして日本で熟成し、世界に逆輸入され、現在の"クール"なスタイルとして認識されるに至るまで、その流れが体系的によくわかる本。現在Googleの社員であるアメリカ人の著者が日本人も知らない、日本のファッションの歴史を丁寧に調べ上げて作ったというから驚きです。

CREDIT:
ダッフルコート/VAN JACKET
ジャケット/ami
シャツ/フリーマンズ スポーティング クラブ
ニットタイ/ヴィンテージ
パンツ/ユナイテッドアローズ&サンズ
ローファー/GUCCI
メガネ/OG×OLIVER GOLDSMITH
 
 

柳田 啓輔

ミモレ唯一の男子。鹿児島出身ですがお酒は強くなく、平成5年生まれの昭和顔だと思っていたら最近は大正っぽいと言われるようになりました。学生時代からトラッド、ストリート、モードと、色々と迷走してきましたが、今は社会人として見られる格好を心がけようと、さらに迷走中。ミモレの新人として日々是鍛錬で精進していきます。

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