子役時代からCMや映画で活躍する小島聖さん。女優という仕事は、プライベートの過ごし方もすべてが自分の糧になる特別なもの。代わりが効かないだけに、プレッシャーも多いと思います。そんな時に出会った山登りが、小島さんを変えるきっかけに。それが最近「野生のベリージャム」という本にまとめられました。ページを進むほどに山に行きたくなり、不思議と気持ちがリセットされる、読むだけで癒される本です。今回は、ファッションセンスが磨かれた若い頃の経験から、山に出会い、結婚をして出産までの、お話を伺いました。

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小島 聖/1989年、女優デビュー。1999年、映画『あつもの』で、第54回 毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。柔らかな雰囲気と存在感には定評があり、コンスタントに映像作品や話題の演出家の舞台にも多数出演。またプライベートでは国内にとどまらず、海外の様々な山に登る山好き。料理やアウトドアに関するライフスタイルでも注目を集めている。今年3月に自身初となる著書『野生のベリージャム』(青幻舎)を上梓。出演待機作に、舞台『誤解』(10月4日(木)〜10月21日(日)@新国立劇場 小劇場)の出演が控えている。


10代でスタートした「女優」のキャリア


神田 出産もされて、最近では山と食の本『野生のベリージャム』を出版されました。今回は小島さんの仕事と暮らしのヒストリーを伺いながら「豊かさとは何か」というテーマを考えていきます。小島さんが女優業を始めたのはいくつの頃でしたか?

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かなり前に購入した、YOSHiKO CREATiON PARiSのイヤリング。「最近存在感のあるイヤリングが気分」で、復活させてつけているそう。

小島 たしか12歳か13歳の頃です。親の勧めで劇団に入っていたので、部活のように日舞やバレエ、発声などいろんなクラスを受けられて楽しかったです。劇団経由でオーディションを受けて、CMに出演したり、芸能活動がスタートしました。子役時代の代表作は、1990年に公開された映画『タスマニア物語』。その頃すごく話題になった映画だったので、役をいただけたのは嬉しかったけれど、まだ自分自身は「仕事」というよりも、習い事のひとつという感覚でした。ですから「将来女優になろう」などあまり自分自身、深く考えてはいなかったんです。

神田 演じることを仕事にしようと決意したのはいつ頃ですか?

小島 高校卒業後の進路を考えたときです。大学には行かず、お芝居をやってみようかなって。でもその時点でも決意というよりもまだなんとなく「こうなりたい」とか、「こういう場で活躍したい」というのはまだ見えていなかったです。舞台に出させていただいて2、3回目くらいのとき、「舞台でやっていきたい」と初めて女優という仕事を意識するようになりました。舞台で演じることのおもしろさが少しずつわかるようになったんです。それが20代前半くらいの頃です。

神田 20代前半で、「天職」だと気づいたんですね。考えてみたら終わりのないお仕事。プライベートの充実も芸のこやしになりそうですね。この頃は、プライベートではファッション系のお兄さんたち(笑)と仲良くしていたようだけど。

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ヘインズのTシャツをインナーに、Dries Van Notenのジャケットと妊娠中も愛用していたというAsciari Miranoのパンツを合わせて。足元はコンバースで抜け感を。

小島 村上 淳さんとドラマで共演させていただいたのをきっかけに、いわゆる裏原宿系のファッション関係の方たちと知り合って。そこでファッションや音楽など、いろいろなことを教えてもらいました。淳さんやNIGOさん、高橋 盾さん……まだみんなそれぞれが、今ほど有名になっていない頃だったので、夜な夜なクラブに行ったり、飲みに行ったりととても楽しかったですね。Tシャツを切って縫って、ワンピースをつくってくれたり、ファッションショーのお手伝いをさせてもらったり。勢いのあるお兄さんたちばっかりだったので(笑)。一緒にいるだけで、刺激をもらいました。私も昔から洋服が好きなので、服作りの過程や、ブランドの裏側を見せてもらえたのも刺激的でした。

神田 将来のファッションカルチャーを牽引する人たちと遊んでいたのですから、それは刺激的で楽しいはず! ファッションだけではなく、その頃に磨いたものが、いまの小島さんの独特のセンスや、文化的背景の一部にもなっているんですね。私は小島さんのファッションも、お家のインテリアのセンスも本当に大好きです。

小島 私もみんなの中ではまだ若くて、背伸びをしていた部分もあったけれど、本当にいい時間でした。時代を作っている人たちと一緒にいるという、優越感や安心感もありました。

神田 キャリアの上でもプライベートを充実させる上でも、いつもまわりに自分自身を磨いてくれる仲間がいて、その中で自分らしく輝く、というのが小島さんの成長のスタイル。そういった自分が興味のある分野の友人たちとの出会いを、ぐいぐいと引き寄せていくのは、今でも変わりませんね。

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軍モノのデットストック生地でつくられたJETMINMINのトートバッグ。ワンショルダーでパッと肩掛けでき、大容量入るのに軽いためマザーズバックとして活躍中。

小島 当時も今も、友人に新しい世界に引き込んでもらっている部分は大きいかもしれません。それほど人付き合いが得意なほうではないけれど、長い付き合いの友人も多いです。お兄さんたちも、みんな有名になり、仕事が忙しくなったり家庭ができたりで、頻繁に会う事はないですが、誌面などを通して活躍している姿を見ると、やっぱり今でも刺激をもらいます。
 

 


そして、山登りという自分をゆるめる方法を手に入れて


神田 人生のいろんな経験が、現在の小島さんを作っているのですね。女優の仕事というものは、何年か先まで仕事が決まっている、絶対に“自分でなければいけない”代打が効かない仕事という意味で、すごく自分のバランスを取るのが難しいと思います。その先の仕事が保証されているわけではないですし。さらにオーディションを受けたり、自分で仕事を取りにいくことも時には必要ですよね。長く続けていくには、精神的なタフさも求められるように思います。

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山に出会い、変わっていく聖さん。植物が綺麗な山、湖や川がある山、それぞれの 季節によって異る表情を楽しんでいる。こちらはアメリカ西海岸、ヨセミテ国立公園にある多彩なトレッキングコースの中の「ジョン・ミューア・トレイル」でのひとこま。

小島 やりたい仕事でもオーディションに受からないこともあるし、苦手な仕事が来ることもあります。20代前半の頃は、夜遊びをして交友関係を広げ、仕事につなげるなどアグレッシブに動いていたこともありました。その一方で同世代の人たちを見て、うらやましいと思っていた時期も……。今は人と比べるのではなく、「私は私らしく、毎日を積み重ねていけばいいのかな」と思えるようになりました。

神田 正解がない仕事だからこその難しさはありそうですよね。そんなときに山と出会ったのでしょうか?

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山に持って行き、日記やメモを記しているというコクヨの測量野手帳。ここに記した日記が、本のエッセイのもとになっている。伊東屋で購入すると名前の刻印を入れてくれる。

小島 山と出会ったのは30代。今回出版した本のエピローグにも書かせていただいたのですが、私の名前「聖」は父が南アルプスの聖岳からつけてくれたものです。30数年間、ほとんどその山のことを意識せずに過ごしていたのですが、父が他界したタイミングで、ふとその山に登ってみたいなと思って。その1年程前にネパールを旅したことも、山に登り始める直接的なきっかけとなりました。トレッキングで自然と触れ合う楽しさに魅せられ、日本に戻ってから「山に行きたい」ってまわりに言い始めて。そんなときに、雑誌のロケで山に行く機会があり、その時に山や自然をテーマに写真を撮り続けている野川かさねさんがカメラマンで。私が「山に行きたい」と伝えたら、すぐにそれを実現してくれたんです。野川さんのまわりの山登りのプロに混ざって、いろいろ教えていただきました。最初に、本格的に登る仲間に会えたのも、ラッキーでした。

神田 ネパールやスイスなどで本格的な登山に挑戦したり、アラスカを踏破したりと、登山を始めてからわりと早い段階で、スケールの大きい山に行きましたね。最初の頃、一緒に穂高に登った時も、向かいに見える槍ヶ岳を見て「あれに登りたい」と言っていたし。趣味の範疇を超えて、深く突き詰めていく姿勢は、やはりストイックな女優魂から来ているのか……。

小島 登り始めの頃のほうがアグレッシブに高い山を目指していましたね。せっかく来たんだから、頂上まで絶対に登ってやろうという気持ちが強かったのかも。でも山と長く付き合うにつれて、だんだん自然との接し方もわかってきました。山に行っても雨の日もあれば、体調が悪くて登れない日もあります。そういう時にただつまらなく思うのではなく、発想を変えて別の楽しさを見出せるようにもなりました。たとえば雨に濡れる緑の美しさを感じたり、山小屋で丁寧に日記を見返したり。

神田 山に登るようになって、自分の気持ちの保ち方も変わったということかしら?

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なぜか山に行くとなると必ず一度はメニューに登場する、ホットケーキ。暑くない季節には牛乳、卵、バター、生クリーム、フレッシュな果物、鉄製のフライパン、ホットケーキと相性のいいコーヒー豆を背負って歩く。アラスカではキングサーモンに、自作のブルーベリージャムとバーチシロップを添えたらフランス料理のように美味しかった!

小島 山にいないときも、毎日が楽しくなりました。お芝居をするのも、ごはんを食べるのも楽しくなった。それまでも楽しくはあったけれど、自分のそばに自然があると思うと少しほっとするというか、またあそこに行けばいいかと思うと安心するというか。

神田 自分をゆるめる方法を手に入れた、ということかもしれないですね。仕事や暮らしを頑張っていると、いつの間にか「完璧にやらなければ」という感覚に追われてしまいがち。でも自分なりのゆるめる方法をどこかに持っていれば、その感覚を少し手放せて、いつもの仕事や暮らしがもっと楽しめるようになる。小島さんにとってはそれが山だったんですね。

小島 確かにそれはあるかもしれません。本当に山があってよかったとは思っていて、都会の物質的な世界だけしかなかったらもっとギスギスしていたかもしれません。そんなこと登り始めた頃は考えていませんでしたけど。

神田 自分の心が欲するものを敏感に感じ取る、というのも女性にとってとても大切なこと。これからますます大切になっていくのではないかと思っています。


山との出合いで、小島さんの生活はどう変わっていったのか? 後編は6月29日(金)公開予定です。

撮影/林洋介 取材・文/神田恵実