今の家に住み始めて2年が過ぎた。
もずく(我が家の愛犬)を飼い始めて1年半が過ぎた。
 

大きな木を携えた、ちょっと独特な見た目のこの家と、
怖いもの知らずのもずくのおかげで、
あまり社交的ではない私たちだが、
すっかりご近所付き合いが盛んになった。
 

もずくには、毎朝の散歩で会う沢山の犬と、
道すがら出くわす、登校中の小学生の“彼女”ができた。
始めは、真っ黒いもずくの風貌に、
「ちょっと怖い……」と
遠くから見ているだけだったが、
一歩、一歩と近づいて、「かわいいね」と撫でてくれるようになり……、
「もずく!おすわり!もずく!おて!」とお世話してくれるようになり……、
そのうち、拾ってきた木の棒を投げて「もずく!とってこい!」と指示するようになった。
 

その“彼女” は、うちから30mも離れていない家に住んでいて、
休みの日には、斜向かいの公園で、近所のお友達たちと、朝から晩まで遊んでいた。
休みの続いたある日、公園での遊びもやり尽くしたのか、公園をはみ出して、
我が家の前で「も〜ず〜く〜!」と声がした。
たまたま家にいた私は、扉をあけて、もずくを玄関先に出し、
彼女と遊ばせていたら、お友達たちが2〜3人わらわらと集まってきて、
もずくと戯れるどころか、家の中へどどどっと押し寄せてきた。
 

そのとき解ったのだが、どうも近所の子供たちには、我が家は「もずくの家」・「ツリーハウス」と呼ばれていて、
窓を通して見える、部屋の中の奇妙なものたちに興味津々だったようだった。
そんな奇妙な家に初めて踏み入った子供たちは
お菓子の家に入ったヘンゼルとグレーテルのように、
家の中に点在する、古い椅子や大きな瓶や、
“へん”な絵や“へん”な置物を見て、
興奮で目をらんらんと輝かせて、家中を走り回った。
しまいには、「ねえ〜、チョコレートないの?」と言う始末。
 

今まで、近所で遊ぶ子供たちの様子を微笑ましく感じていたが、
私の中で、彼らは、“ちびっこギャング”に変貌した。
 

この日を境に、タガが外れてしまった子供たちは、
気が向いた時にやってくるようになった。
うっかり玄関の鍵を閉め忘れようものなら、勝手に入ってくる勢いだ。
 

「我が家を好いてくれるのだし……」
「次来た時は、何かお菓子を用意した方がいいかしら?」と、
最初の数回は、お相手をしていたが、
毎回、思いもよらない突然の訪問にエネルギーを吸い取られ、
いつしか、外でちびっ子ギャングの声が聞こえると、
そっと気配を消すようになった。
 

そんな日が続いて、子供たちも諦めたのか、
ある時からぱったりと来ることがなくなった。
 

そうして、ある朝、久しぶりに、登校中の“彼女”と会ったとき、
もずくがいつものように近づいていくと、
「もう無理です。もずくはキケンセイブツです」と。

 

その散歩の帰り道、ふっと魔女のことを思い浮かべる。
昔話に出てくる魔女は、きっと、私みたいな人だったのではないだろうか。
ちょっと普通とは違う感覚の持ち主で、社交下手。
純粋な心の持ち主で、傷つきやすい。が、とびきりの頑固者。
そんなわけで、結婚もできなくて、独りひっそりと、
自然や、古いものや、無彩色なものなんかに囲まれているのが、
なんだか落ち着く。
時々、村の人と関わろうものなら、
本当は優しくて、気持ちはあるのだが、
どう表現したら良いか判らず、
庭で採れたりんごでもあげようと思ったら、
たまたまそれが虫食いで発酵しかかっていて、
たまたまそれを食べた子供がお腹を壊し、
それで、「毒りんごを食わせた!」と悪評がひろがり、
その噂を耳にした魔女は、心を乱して、自暴自棄になり、
ますます心を閉ざしてしまったのではないだろうか。
 

私も、“彼女”の態度に、傷つき、心が乱れた。
魔女の気持ちに、大いに共感した。
が、私はここで、魔女になるわけにはいかない。
夫のため、もずくのため、
ご近所コミュニティーとは、適当にうまくやっていく必要がある。
 


散歩の後には、玄関前の落ち葉を掃いて、水を撒くようにしている。
そうしていると、前を通る人に時々声をかけられる。
あるおじさんには、満州で生まれ育った、自分の身の上話を聞かされた。
お隣さんからは、B&Oのオーディオを貰ってくれないか、相談を受けた。
ご近所さんには、魔女というよりは、
修道女くらいな印象でいられているのかな、とちょっと安心する。

◎ 今日のもの・・・ノルマンディーの椅子/FUCHISO(フウチソウ)
◎ 今日の器・・・郡司庸久のピッチャー
◎ 今日の花・・・花屋西別府商店
撮影/白石和弘