6/9(土)に東京、7/28(土)に京都で講演を行ったのはエッセイストで、東京大学大学院情報学環客員研究員の小島慶子さん。テーマはずばり「過去のモヤモヤを受け入れるセルフカウンセリング」。20代、30代、40代、50代――、「これを乗り越えたら心身ともに身軽な自分になれるはず!」と願ってはいるものの、ひとヤマ超えたら新たなヤマが目の前にそびえ立ち、「いつまで経っても楽になれないの?」と、誰もが感じるそんなモヤモヤした気持ちに小島さんが鋭く切り込んでいきます!

小島慶子さんが語る「ロールモデルの“呪い”に気づいてラクになる方法」_img0
小島 慶子(こじま けいこ) 東京大学大学院情報学環客員研究員 / エッセイスト。民間放送局にてアナウンサーとして15年間勤務。第36回ギャラクシー賞・DJパーソナリティ部門賞受賞。 2010年に独立後は、各メディア出演及び執筆活動を行っている。2014年より家族の拠点をオーストラリア・パースに移し、 自身は仕事のある日本と往復する生活。2017年より東京大学大学院情報学環客員研究員。林香里教授のもとで「メディア表現と多様性について抜本的に検討する会(MeDi)」メンバーとして活動している。


“あるべき女子アナ像”からかけ離れた20代の私と、
結婚しても新たな苦しみに苛まれた30代の私


1995年にアナウンサーとしてTBSに入社した小島慶子さん。テレビやラジオのパーソナリティーを務めて人気を博し、退社後もタレントやエッセイストとしての活動に加え、小説の執筆や講演など、活躍の場を広げていきました。2013年からは生まれ故郷であるオーストラリア・パースに家族4人で移住。小島さんが一家の稼ぎ頭として、日本とオーストラリアを行き来する生活を送っています。

そんな小島さんの“華麗なる経歴”を見ていると、順風満帆に人生を歩んでいるように見えますが、実はまるで正反対のような苦しみを味わってきたと振り返ります。

「今年で46になるのですが、20代、30代、40代はいろいろありました。今から思えば、自分で自分に呪いをかけていたようなところがあったようなところもありますね」

専業主婦の母から、『いい学校、いい会社に入れば安泰。いい男をつかまえればなおよし。女はそうやって幸せになる』と言われ続けてきた小島さんは、その教えに強く反発。大学4年の就職活動時には、「経済的に自立したい一心」で総合職を目指すことに。中でもマスコミ業界は大学の成績が問われず、「女のピークともいえる20代にアナウンサーになれば、人からチヤホヤされて、絶対に楽しいはず!」という下心も相まって、テレビ局のアナウンサーを志望。

「うっかりTBSが採ってくれたんですね。でも、実際アナウンサーになってみたら、“使えない”“センスない”“間が悪い”と言われる始末。私には会社や世間から求められている新人女子アナらしさが全然なかったんです」

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東京校の講演の際は、さわかやな白いノースリーブとストライプのフレアスカートでご登壇。

世間から求められる女子アナのあるべき姿なんて、今の小島さんであれば、「そんなもの気にするな! そういうロールモデル自体が歪んでいる!」と一蹴できるものの、当時は「適応できない自分が悪い」と自分を責めてばかりいたそう。それでも、理解ある女性上司が小島さんに寄り添ってくれたことで、かなり救われたといいます。また、小島さんらしさが出そうなラジオの仕事もすすめてくれました。

アイドル女子アナにはなれなかったけど、好きなことをやればいいと気づいた小島さん。局アナでありながら、とあるきっかけで『世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターとして出演。やがて28歳でテレビ制作会社のディレクターと結婚します。

「結婚して30代になり、オールハッピーになれると思いきや、そんなことはありませんでした」

特に辛かったのは2回目の産休明け。会社に復帰しても仕事は全くなく、挙げ句の果てに後輩に「いつまで会社にいるんですか?」と言われる始末。アナウンス室で電話番をし、いつ異動してもおかしくないと感じていたそう。

「同期や周囲の活躍を耳にするたびに、自分はもう終わってしまうのかと辛い気持ちになりました」

はじめての子育ては苦労の連続で、つくづく自分に向いてないと痛感。そんな時、自然と自分がどんな親にどう育てられたかに目を向けるようになり、小島さん曰く、母娘関係の“パンドラの箱”を開けてしまうことに。理想を押しつけて、娘を思い通りにしようとする母の姿が蘇り、さらには2人目を妊娠中に夫の深刻な裏切りに遭い、小島さんは不安障害を発症してしまいます。38歳の時にはTBS退社を決意。オールハッピーどころか、新たな苦しみに苛まれた30代だったのです。


フリーランスとして軌道に乗ったら夫が無職に
家族でオーストラリアに移住し、大黒柱になる40代の私

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東京のこの日の講義は講談社の講堂で開催されました。

フリーランスとしての活動も軌道に乗り、母娘関係のトラウマもカウンセリングを経て乗り越えようとしている頃に迎えた40代。今度こそ穏やかな日々を、という願いとは裏腹に、小島さんの夫が「50歳を目前に人生を考えたい」と突然会社を辞めてしまいます。小島さん自身、30代の時に会社を辞めていたため、今度は自分が応援する番だと思いました。

「私はフリーでいろいろな仕事をしていて、『今日も疲れた』と家に帰るわけです。無職の旦那を格下に見ていじめるようになり、気づけば自分がかつて一番憎んでいた、女中のように妻を扱う男みたいになっていました。そんな自分にうんざりしました」

小島さんはさまざまな経験を経て、自立した女性のつもりでいたものの、日本の男社会にどっぷりと浸かり、そうしたシステムを恨みつつも、自分もすっかり取り込まれていたことに気づいたそう。

「無職の夫を責めても何の解決もしません。今の状態だからできることは何かと考えた時に、当時小学生だった子どもたちと一緒にオーストラリアに移住し、のびのびとした環境の中で現地の教育を受けることを思いつき、実行に移しました」

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ワコールスタディーホール京都で開催された京都校2日目。参加者の方々との懇親会へ小島さんもご参加くださいました。小島さんへの質問や相談、それぞれの抱えるモヤモヤについてお話が尽きない様子。

移住5年目となった今、息子たちは現地の生活にすっかり馴染み、夫は家事一切を担い、小島さんは日本に出稼ぎに行くというスタイルが定着。今こそがようやく訪れた、心穏やかな日々?

「中学生と高校生の息子たちがいずれ親元を巣立つ姿を想像できるようになりました。でも、そうなったら私は夫と2人きり!? 母娘関係の振り返りに苦しんだ30代の時、夫への気持ちにフタをし続けてきたのですが、そのフタが最近になって開いてしまい、裏切られたときのことをじっくり分析しては、エッセイで恨みや迷いを書きまくっています(苦笑)。熟年離婚する人の気持ちがわかるような気がします」

マシンガンのように矢継ぎ早に自らの歩みを語り、時にはユーモアを交えつつ、フラットで冷静な視点で当時の気持ちを分析していく小島さんのトーク力は圧巻! この後、受講生たちはグループごとに分かれ、お互いに世代ごとのモヤモヤについて語り合い、小島さんが指名した人が全員の前で胸の内を語る、という本音トークバトルが展開されました。時間ギリギリまで熱のこもった“モヤモヤ”ぶちまけ大会は、受講生にとっても数多くの気づきを得る機会になったようです。

受講者の方から届いた感想PICK UP!

「華やかな憧れの職業にいらした裏ではものすごく葛藤され、苦しまれてきたことが印象的でした。今、人に話すことができるところまでご自身で沢山のことを整理して飲み込んでこられたのだと思います。途中、何回か聞いている私が泣きそうな想いでした。」

「その時々のモヤモヤとちゃんと向き合われたところを見習いたいと思いました。“自分で自分に呪いをかけてしまう”こと、何歳になってもいろいろあるものだと。でも、それを少しでも解消できればいいと思っています。」

「TVや雑誌でお見かけする小島さん、自信満々で悩みもスパッと解決されているイメージに見えたので意外でした。リアルに悩まれているお姿に元気づけられました。」

取材・文/吉川明子 撮影/朏亜希子(編集部)
構成/川端里恵(編集部)