私の住む東京から一番遠い日本、沖縄の八重山諸島は、本島からの距離も台湾の方が近いくらい。八重山で一番大きな島、石垣島までは沖縄本島から400km、飛行機に乗っても1時間強の距離があります。
八重山は沖縄以外の土地から見るとまさに最果ての地、国内移動の感覚を少し越えた距離や時間を経てたどり着く別世界ともいえるでしょう。そうは言っても今では東京や関西から石垣島まで空の直行便も沢山あり、そこまではひとっ飛びなのですが・・・
その先の離島に行きたかったら、石垣の港から高速船で渡ることになります。この船に乗るというプロセスで、遠いところに来ている、行こうとしているということを体感するようです。(実際に天候によって海が荒れたら船の運行は止まりますから、この先に行くことも向こうから戻ることもできません。)

小浜島はサトウキビ栽培と酪農が盛んです。気持ちよさそうに放牧されている牛たちにご挨拶。

港へ向かうタクシーでの運転手さんとの他愛ない会話の内容も、車窓を流れる背の高いサトウキビがワサワサとなびくさまも、ドカンと広い空も、目に飛び込んでくる海の碧さも、自分の普段の生活にないものばかり。頭の中のぼんやりした空洞に鋭い光を打ち込まれたように、五覚にスイッチが入るのがわかります。現代生活の中で生きていても、人間の深い所に僅かなりとも野生が眠っているのだと感じる時です。

今、仕事のために1週間ほど小浜島にとどまっています。毎日毎日寝ても覚めてもこの小さな島の自然と人のリズムに対峙していると、自然が中心となって人がそれに寄り添ってゆく、その有り様の厳しさと豊かさに心底感服するばかりです。例えば突然の土砂降り天気雨の洗礼を受けたら、誰もが「ああ、これぞ為すがまま」と状況を受け入れない訳にはいきません。雨宿りできるならしたら良い、できない所にいたら思い切り濡れてしまえば良い・・・そのあとは冗談みたいな青空と虹が広がるのですから参ってしまいます。天気に左右されるフォトグラファーの仕事は、通常それに一喜一憂するものなのですが、それはあくまでも私たち人間の都合で考えている予定。自然の言うことを聞く、流れに従っていくと、それがかえってよい結果を生み出す場合が多く、こんな生き方をすると大きな選択の間違いは起こらないのだろうなと思ったりします。人の心に自然信仰が生まれたのはそんな経緯なのでしょうね。
 

どうしてでしょう、虹に出逢うといつでも嬉しいもの。良い写真が撮れますように。

先日、満天の星を撮影したいのになかなか夜空の雲が晴れず天気が変わるのを待っていたのですが、その間に、宿泊先の本棚にあったある本を手に取りました。その本「岡本太郎の沖縄」には、岡本氏が撮影した60年程前の沖縄(八重山諸島も含め)の、生きた姿が現われています。岡本氏の文章や写真にはこれまでも幾度となく力づけられて来たのですが、この島でも閃きをくださるとは!なんと有難いことでしょう。岡本氏の写真群は素直な衝動や感激に満ちていて、なんとも伸びやかなのですが、一方でズバリ見せたいもの、感じたことが見事に表出していて、それこそが写真の醍醐味そのもの、素晴らしいのです。

「岡本太郎の沖縄」(小学館刊)のページより。60年前に岡本氏が捉えた八重山の写真に心掴まれました。

写真集の体のこの本には文章も添えられていて、こちらは岡本氏の著書「沖縄文化論」からの抜粋文と、旅を共にした岡本敏子氏が書いたもの。敏子氏の眼差しはとてもシャープで、岡本氏と沖縄の両方の反応をとらえているのが大変興味深いのです。彼女がいつも岡本氏の傍らで言葉を隈無く書き留めていたというのですから、彼女の存在の重要さや力にも深く感じ入ります。溢れる探求心、民俗学的な見地を経て、独自の視点を確立したひとりの表現者としての岡本氏の言葉は、この本の60年後の沖縄を見ている私に「この土地の人々、自然、目に見えないもの、その在りようをしっかりと見ろ、それらを敬う精神にも目を向けろ」そんなメッセージとして飛び込んで来ました。

はい、今ここにいて、見て感じ取れるることを目一杯受け止めて写真に収めて参ります、八重山の自然と人々、神々に深い敬意を込めて。

星空のありのままを受け止めて


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