ミモレでファッションと真正面から向き合うようになり、そして、何より読者の方のファッションへの熱量を感じるにつけ、同じくらいの熱量で自分にぶつけています、「なのに、なぜ、ファッションは私たちをかくも悩ませるのか」という問いかけを。本当にずっとずっと考えているんです。親友には、「本当にそういうことを悶々と考えがちよね」と苦笑されているのですが、性分だから仕方ない(もはや開き直るっきゃない)!

哲学者の鷲田清一さんが好きで、よく著書を読んでいます。この2冊は、ミモレに関わり始め、ことあるごとによく読み返しているのですが、その時のコンディション(?)によってスーッと腑に落ちたり、まったく頭に入ってこなかったり……苦笑。ともあれ、ファッションは「自分とは何か?」という哲学的な問いかけととても相性がいいな、と思います。『ちぐはぐな身体』『モードの迷宮


今、通学している大学院で、「自己観における文化差」についての講義を受けました。東洋文化は相互協調的自己観=自分は他者とつながりをもった存在。一方、西洋文化は相互独立的自己観=自分と他者とは自分と別の存在。つまり、相互協調的自己観を持つ東洋文化では人間関係の調和や集団内での責任や義務が重んじられ、相互独立的自己観を持つ西洋文化では個人の目標を達成することが重視されているというわけです。消費という側面から見ると、東洋文化では社会的に突出しない傾向が強く、西洋文化では自分らしさを表明する傾向が強いということも分かっているのだそう。

な、なんと! 私たちのファッションで「自分らしさ」の演出をすることに「日本人が苦手意識をもつのは仕方がないことではないか!」とハッとさせられました。私たちがフランス人のように服を10着でやりくりできない決定的な理由はまさにコレなのでは!と思った次第。もちろん、一概に価値観を「西洋的に倣うべき」と言いたいわけではありません。ですが、「おしゃれにおいて自分のスタイルを確立したい」「トレンドや他人の視線に振り回されず、自分だけの正解を見つけたい」と願うなら、意識的に「自分と他者は別の存在である」ということをことあるごとに問いかけ、「自分は何者であり、何をなすべきなのか」ということについて、とことん見つめ合うしかないのかもしれません。

ハッキリとした答えがあるのかどうかも分からない、この「ファッションとアイデンティティ」に対する問いを本日の夜、夏木マリさんにぶつけてこようと思います(その様子は後日レポートいたします)。

今日のお品書き
今宿麻美さんは、おしゃれ番長(!?)としてストリート誌の寵児でありました。この世に「ミモレっぽい服」というものはなく、「その人らしく服を着こなして欲しい」というのがミモレの提案したいファッションだということを伝えたくて、「大人のためのストリートカジュアル再入門」特集を組みました(ストリート世代のバタやんが!)。「コンバースはハズシのアイテムではなく、もはやベーシック」とスタイリスト百々(どど)さんと盛り上がる対談も、時代の空気感がよく伝わってくるので、必読ですよ!