ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづごころなく 花の散るらむ
〜紀友則『古今集』より〜
実は、桜(ソメイヨシノ)が苦手なんです。厳密に言うと、「一気に咲き乱れて、あっという間に散ってしまう桜」に心の平静をかき乱されてしまうから苦手なんです。蕾から3分咲きくらいまではまだ良いのですが、5分先から満開まであたりのあの生き急いでいるといわんばかりの疾走感に、本当に苦しくなってしまう。そして、もう、散り始めた日には……
さらに、桜の下で宴会をしている方たちを見ていると、いっそう「無常観」がこみ上げてきてしまい……なんなんでしょうか、この感じ!?
もちろん、キレイだと思うので、ウットリと眺めたい気持ちもある。なので、夜、そぞろ歩きしながら、ひとりで桜を愛でるのがここ数年の定番です。
冒頭は、百人一首の中でもとりわけ有名な一首。「こんなにも日の光がのどかな春の日に、桜の花はまったく落ち着いた様子もなく、どうして慌ただしく散ってしまうのだろう」と歌われています。この歌を始めて知った時、桜の散り際の美しさを愛でた歌だと先生は教えてくれましたが、「いや、作者は、こんなにも人を喜ばせる自分の存在を知りながらも、自分の存在価値を確固たるものにするため早々に姿を消そうとしている桜に、そこまでせっかちにならんとも、とツッコミを入れたかったはず」と考えたことを覚えています(苦笑)。そして、実は、今でも結構、そう思っています(笑)。もちろん、その去り際の良さあってこそ、私たちの心をこんなにも沸き立たせてくれる存在であることも承知しているのではありますが。
自分がひととき慣れ親しんだ場所を、自分のペースでゆらりゆらりと歩きながら、ひとりで夜桜を楽しむ。足元を見ると、もう、桜の花びらの絨毯が……切なく感傷的な気持ちがブワーッとこみあげてきそうにもなるのですが、そういう気持ちに思いっきり浸りながら桜を愛でることが今の私には合っているみたいです。
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