ひさかたの 光のどけき 春の日に
しづごころなく 花の散るらむ
紀友則『古今集』より〜

実は、桜(ソメイヨシノ)が苦手なんです。厳密に言うと、「一気に咲き乱れて、あっという間に散ってしまう桜」に心の平静をかき乱されてしまうから苦手なんです。蕾から3分咲きくらいまではまだ良いのですが、5分先から満開まであたりのあの生き急いでいるといわんばかりの疾走感に、本当に苦しくなってしまう。そして、もう、散り始めた日には……

さらに、桜の下で宴会をしている方たちを見ていると、いっそう「無常観」がこみ上げてきてしまい……なんなんでしょうか、この感じ!?

もちろん、キレイだと思うので、ウットリと眺めたい気持ちもある。なので、夜、そぞろ歩きしながら、ひとりで桜を愛でるのがここ数年の定番です。

  • 二子玉のイベントの帰りに、同じ沿線にある、昔住んでいた三軒茶屋で下車して、世田谷公園までそぞろ歩き。コンビニで買ったカフェオレを飲みながら、ベンチでボーッと。
  • 昼間は私たちにサービス全開な桜ですが、夜はホッと一休みしている感じがして好きです(私の脳内イメージです)。
  • その後、三軒茶屋の後に住んでいたあたりの遊歩道まで足を伸ばしました。静かに花見をするカップルを横目に見ながら「宴会でハッスルする人より、こういう人を好んでいたな」と学生時代を懐かしく思い出しながら歩いたり。


冒頭は、百人一首の中でもとりわけ有名な一首。「こんなにも日の光がのどかな春の日に、桜の花はまったく落ち着いた様子もなく、どうして慌ただしく散ってしまうのだろう」と歌われています。この歌を始めて知った時、桜の散り際の美しさを愛でた歌だと先生は教えてくれましたが、「いや、作者は、こんなにも人を喜ばせる自分の存在を知りながらも、自分の存在価値を確固たるものにするため早々に姿を消そうとしている桜に、そこまでせっかちにならんとも、とツッコミを入れたかったはず」と考えたことを覚えています(苦笑)。そして、実は、今でも結構、そう思っています(笑)。もちろん、その去り際の良さあってこそ、私たちの心をこんなにも沸き立たせてくれる存在であることも承知しているのではありますが。

ちょっとカラダが冷えたので、三宿交差点にあるビルの5階にあるkong tongへ(といってもバーやカフェとしても使えるんです)。このビルの地下には若かりし頃に入り浸っていたクラブがあり、このビルから外を眺めていると、タイムスリップしたような気分に。2階の新記にも、とてもお世話になりました。
この日は、湯冷めをしなさそうなくらい暖かかったので、大好きな銭湯にも。三軒茶屋に住んでいた頃、気分転換によく利用していた弘善湯へ。当時とあまり変わらない佇まいで、しみじみと嬉しかったです。この日は、花見というより、とりわけノスタルジーに浸りたかっただけなのかもしれません(笑)!?


自分がひととき慣れ親しんだ場所を、自分のペースでゆらりゆらりと歩きながら、ひとりで夜桜を楽しむ。足元を見ると、もう、桜の花びらの絨毯が……切なく感傷的な気持ちがブワーッとこみあげてきそうにもなるのですが、そういう気持ちに思いっきり浸りながら桜を愛でることが今の私には合っているみたいです。