エッセイスト酒井順子さんの書き下ろし連載。今回のテーマは「昭和と令和」。おや、間の平成は? 昭和に比べて影が薄いといわれがちな平成、その30年の間に起こった重大な変化とは何だったのか。

平成の30年をかけて変わった二つのこと【昭和と令和・前編】_img0
 


昭和と平成、どちらに親しみを感じるか


 我々50代は、人生において三つ目の御代に突入いたしました。故郷・昭和の後ろ姿は、気がつけば遠くなりつつあります。

 私は生まれた時から大学生の頃まで、明治生まれの祖母と同居していました。その頃は生活のところどころに、明治女である祖母の感覚が生きていたわけで、私の中には今でも、微量の明治成分が生き続けているのです。

 祖母は、関東大震災(立っていられないほどの揺れだったそう)や、二・二六事件(うちの近所にも反乱軍は来た)、もちろん第二次世界大戦(防空壕で生き埋めになりそうなところを助け出される)も知っていました。それらの出来事は「祖母が体験している」ということで、私の中には、「それほど昔のことではない」という感覚があるのです。

 しかし平成以降に生まれた人達にとって、明治や大正という時代は、完全に「日本史上の一時代」。彼等は、生きて動いている昭和天皇のことも知らないわけで、ましてや大正、明治をや。

 昭和が終わった時、私は22歳。人生においては、既に平成を生きた時間の方が長くなっていますが、しかし心が柔軟な時期を昭和で過ごしたせいか、帰属意識を覚えるのは昭和の方なのです。

 昭和も平成もたっぷり知っている50代が、どちらの時代に、より親しみを感じているか。それは、その人の「進取の気性」の多寡に左右されるように私は思います。その気性に富んだ人は平成に、そうでない人は昭和に、より強い思い入れを持っているのではないか。


“平野ノラ携帯”が恥ずかしかった人、誇らしかった人


 平成時代における最も大きな変化は、「ネット社会到来」というものでしょう。現在の私は、パソコンで原稿を書いて送り、スマホやらアップルウォッチやらを所持しています。しかし昭和の終わりの時点では、やっとワープロを購入して手書きから卒業し、書いた原稿は近所の文房具屋さんから1枚100円でファックスで送ったり(まだ家にファックスは無かった)、編集者さんと会って手渡ししたりしていたのです。平成という新しい時代に、マンガに出てくるような腕時計型の電話(=アップルウォッチのこと)を自分が所持していようとは、夢にも思っていなかった。

 平成元年に会社員となった時、部署に1台くらいは、ごく初期のパソコンが置いてありました。ほどなくすると、平野ノラさんの芸でおなじみの、弁当箱大の初期携帯電話を持つ人も登場。

 進取の気性に富んだ人は、いち早くパソコンをいじり、また弁当箱型携帯電話を使用して、路上で通話したりしていたものです。が、私は同行者が路上で弁当箱型携帯を使用している姿が、ものすごく恥ずかしかった。「お願いだから止めて!」と思っていた私は、つまりは進取の気性が希薄な者。新しいものには飛びつかず、むしろ胡散くさい感じを抱きがちなのであって、当然ながらIT化の波には乗り遅れます。

 たまたまパソコンをいただく機会があったものの積極的に使用はせず、原稿を書くのは延々とワープロ専用機で。携帯電話にしても、弁当箱大から急速に小型化していったにもかかわらず、自分で持つようになったのは、世間の平均からだいぶ遅い。スマホの導入にしても、同様です。

 私が「ウィルスっていうのが怖そう」とか「ネット上で誰かと知り合うなんてありえない」とか「炎上、絶対にイヤ」とへっぴり腰になっている間に、進取の気性に富む人達は、ネットの海にどんどん漕ぎ出していきました。どんな時代でも、新しい世界に行くことに躊躇しない人達は、多少の危険を覚悟しています。大航海時代においても、道中に何かあることへの不安よりも、まだ見ぬ世界への期待の方が勝る人達が、新しい世界を獲得していった。

 ワープロで原稿を書き続けていた私が、さすがに「このままだと、まずいかも」と思ったのは、平成も半ば頃のことでした。ワープロ専用機には、明らかに未来は無い。その上、携帯電話もガラケーであった私は、自らがイグアナ化する危険性をやっと実感し、一念発起して個人的なIT革命を断行したのです。

 新しいパソコンで原稿を書くようにして、ガラケーからスマホに機種変更。自分にとっては非常に大胆な二枚替えだったのですが、実行してみたらものすごく便利で、「どうしてもっと早くガラパゴスから脱出しなかったのか」と思ったことでした。

 このように私は、平成になって自分の「進取の気性が希薄」という性質を思い知ったわけです。昭和時代、すなわち若い頃は、「若い」というだけで新しい情報に触れることができ、若さ故の無軌道さで大胆な行動をとることもできました。しかし若さが摩耗することによって、そもそも自分の中にあった守旧傾向が、むき出しになったのでしょう。

 私と同世代であっても進取の気性に富む人は、平成の波を楽しんだはずです。同世代でもネットで知り合った人と結婚した人もいれば、騙された人もいる。電子書籍を読んだり、SNSでバンバンと発信したりと、その手の人達は、昭和出身が嘘のような馴染みぶりを示しているのでした。

 
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