
夜の総武線内。お茶の水から神田方面へ向かう途中。
窓の外に浮かぶ赤いネオンがやけに気になる。右に、左に。
闇にただようネオンが、なぜだか妙に気になった。―――
雨季なのに晴れると、強運な気がする。
そのイベントの主人公が本当にいい人だったりすると、余計にそう感じる。
あか抜けた青山のフレンチ・レストラン。友人の結婚パーティーは夕方から始まった。
三十後半になって盛大なというより、ご家族や親しい友人だけのこうしたパーティは、アットホームでとても居心地がよかった。
私は花嫁のゆうこちゃんのお友達として参加した。女子高が同じだった。
結婚に向いてそうだし、結婚もしたがっていたのに、生真面目さがあだになっていたのか、ゆうこちゃんは、なかなか結婚まで至らなかった。だが、そのだんなさんを見れば、この人にめぐり合うためだったのか、と妙に納得だった。
ゆうこちゃんのユニークさもすべてひっくるめて好きでいてくれるような、あたたかで柔らかな物腰、カンペを持つ手が震えるほど緊張しながら真剣に挨拶をするだんなさん。
今日初めて私はお会いしたけれど、いい人な感じはよくわかった。
隣の席の悪友・立木(たちき)梨津子と、「よかったな、ゆうこちゃんは」と話しあった。
心からよかったと思えるのも、友人としてうれしいものである。
立木もゆうこちゃんも同じ高校だった。女子高のイメージとはほど遠い、ただのおっさんのような間柄。
梅雨というジューンブライドながら、今日を快晴にもたらしたのも、なんだか納得だった。
どこかで神様がちゃんと見ていてくれているような、そんな不思議な感覚があった。
私と同じテーブルの向かいには、懐かしい級友もいた。
何年ぶりだろう。
高校卒業して以来だから、ほぼ20年近くだろうか。
「あれ? ちょっと! 覚えてる?」
声をかけてくれたその級友。
「おぼえてるよ! 田島ちゃんでしょ?! かわんないね~~、ていうか、なんか田島ちゃん、女っぽくなんない? カッコイイ。もともときれいだけど、すごい美しいんですけど」
「え? ホント?! ありがとう~~♪♪ 若菜も変わんないよ~~」
「ほんとに~~? 相変わらず、独身ってとこも変わんない。うしし」
そう。その級友・田島ちゃん。
結婚して、どっか地方に行っていたというのは耳にしていたけれど。
そして久々に会う彼女はどこか凛としていた。
新郎のお友達や、ゆうこちゃんの部活の先輩といったスピーチが合間合間に挟まる。
そのあいだに、隣の立木とは相変わらずのバカ話。
お互い結婚してないこともあり、「あの男いいんでない?」「うそ! 国際結婚?!」「どこの国なんだろね」なんて。けれど内心、結構切実だったりもする。
向かいの田島ちゃんも席が近くの人と話したりしていた。
田島ちゃんの最近のことが気になって声をかけてみた。
「ねえ、田島ちゃん! 今日とかお子さんいて、出るの大変だったんじゃない?」
「そんなことないよ」
「だって、地方にいるって聞いたことあったから」
「そうなの。行ってたんだけど、春に帰ってきたんだ」
「そっか! でも引越しとかそれこそ大変だったんじゃない? だってお子さんいくつよ?」
「小2。男の子だからパワフルだったり、繊細だったり色々面倒だけどね……」
「へえ~。ていうより、髪型、すごいきれいじゃない? モード系っていうか。それストレートパーマでもかけたの?」
「え? そう…? これ、ウィッグなの」
「え?! ウィッグ?! まぢで?! 全然見えないんですけど! 超おしゃれなんですけど」
「ありがとねー♪」
「で、普段、地毛はどうなっちゃってんのよ、ショートとか?」
かにとホタテのクルジェットロール、ウッフ・ボン・ジュレというサーモンと卵のゼリー仕立てといった、涼を演出する前菜につづき、メインのひとつである白身魚のシャンピニオンソースがやってくる。
テーブルに運ばれたメインを前に、五感が引き寄せられ、会話から自然に食事へと移ってしまう。
この年代の披露宴は、落ち着いてていい。
体育会系の同期がワラワラやってきて、新郎に一気飲みを促すこともないし、変に新郎新婦にチューを強要するシーンほぼもない。
美味しいごはん好きのゆうこちゃんが選んだ、この家庭的でもあるフレンチ・レストランは、あたたかな雰囲気に包まれているように見えた。
大きめでしっとり濃厚なガトーショコラにエスプレッソ、デザートチーズなども振舞われ、和やかに披露宴はお開きに向かっていった。
外は小雨になっていた。
帰ろうとしていた田島ちゃんに声をかけた。
「ねえ、こんどまたゆっくり会おうよ。ごはんでもしない?」
「うん。ありがとね」
「じゃ、連絡先とか、ゆうこちゃんづたいに交換し合わない?」
「OK!」
じゃあ! と田島ちゃんは笑顔で手を振って先に帰っていった。
レストランの出入り口でゆうこちゃんとハグしている姿が見える。
新郎新婦に挨拶をして、立木と私はタクシーで、近くの駅まで向かうことにした。
「ねえ、ちょっとさあ……田島ちゃんのこと、知らないでしょ?」
「え?」
「田島ちゃん。大病したらしいよ」
「え……! 田島ちゃんが?!」
「アタシもよく知らないけどさ……ゆうこちゃんは、今日会えるのが本当に奇跡だって言ってた」
「奇跡って……そんな悪かったの? ていうか、いまはどうなのよ?」
「いや、手術して、うまくいったらしいよ。けどまだ治療中みたい。元気そうでよかったなとは思った」
「なんで知ってんの、立木は?」
「だから、ゆうこちゃんからよ」
「そっか……」
タクシーの中で雨音が響き始める。
「じゃあ……相当わるいこと言っちゃったじゃん……たぶんウィッグってそういうことなんでしょ?」
「あんとき私も、ちょっとやめなよ、とも言えなくてさ。だって、ゆうこちゃんからは田島ちゃんのこと黙っててねって言われてたから」
「いや、単純にさあ、凄く綺麗に見えたんだよね。田島ちゃん」
「うん。きれいだった」
「でしょ?!」
信号で止まるたび、雨音が車内をつつく。
小2の男の子というお子さん。病気。地元から離れての地方生活。30後半という年齢。同窓生。
様々なことが頭をよぎる。無神経なことを言ってしまった痛みが心をつんざく。
雨でにじんだフロントガラスの向こうに、最寄駅がぼんやり見えてきた。酔った立木は、このまま実家のある三ノ輪のほうまでタクシーで帰るという。「ええ?! 三ノ輪まで?! そういや、おかあさんげんきなの?」 なんて話をしながら、御茶ノ水駅で私だけタクシーを降りた。
ホームで一人電車を待つ。雨が降り止まない。
やはり田島ちゃんのことで頭がいっぱいだった。
色々なことに直面したであろう、田島ちゃん。
笑顔で「じゃあ!」と言って帰った、田島ちゃん。
総武線が来た。御茶ノ水は妙にホームの幅が細いなと感じた。
電車に揺られながら、車窓に赤いネオンが流れていく。
病気したような特有の疲労感はみじんもなかった。
きっとあの美しさは、いっぱい乗り越えてきたからこそのカッコよさにちがいない。
田島ちゃんの連絡先を知らない。けれど、メールなりを知ったからといって、いきなり謝れるわけでもない。
生きているということ。 生きて会えるということ。
ネオンとともに 漂う夜景、そして自分自身とが、電車の中で揺れていた。―――
終
-----
*この物語はフィクションです
*禁無断転載
Comment
コメント