ニックネームは「ブレイン(頭脳)」。ハーバード大学で磨きをかける雅子さま
世界のリーダーを育てるハーバード大学に進学
昭和56年(1981年)、雅子さんはベルモント・ハイスクールを卒業します。
大学入試では、雅子さんは東部の名門大学に軒並み合格しましたが、最終的には恆さんが客員教授を務めていたハーバード大学に進みました。
ハーバード大学同窓会日本支部に問い合わせると、
「ハーバード大学は、基本的に開校当時はアメリカ、そして今は世界のリーダーになる人物の育成を目指しています。
ハーバード大学は、一番よい図書館、よい教授、よい施設を持っています。学生たちも十分な基礎知識を持っているのだから、あとはアップ・トゥー・ユー、つまり学ぶ者次第。学問を追求するにはもってこいの学校だと思います」
と自信に満ちた答えが返ってきました。
ところが、やがて恆さんは在ソ連日本国大使館公使となり、家族は雅子さんを残して、モスクワに転任してしまいます。
雅子さんは、ローウェル・ハウスで寮生活に入りました。4年間の寮生活のルームメイトは、アメリカ人女子学生のジージーとリーサです。
寮の中庭で勉強の合間にジョギングをしたり、夜遅くまで政治や経済をテーマにディスカッションをしたり、寮のパーティではマイケル・ジャクソンやプリンスの曲で仲間とダンスを踊ったこともありました。
専攻は数理経済学
ハーバード大学での雅子さんの専攻は数理経済学。複雑な数式を駆使する分野ですが、雅子さんの勉強ぶりは猛烈でした。
月曜日から金曜日まで、図書館でレポート作成や資料探しに没頭します。ファッションも、今の洗練された姿からはとても想像できないようなジーンズスタイルでした。
そのころは、友だちが、
「お寿司を食べに行こう」
と誘っても、
「朝までにレポートを完成させなくちゃいけないから」
と断られこともありました。
とはいえ、週末には上手に息抜きをしていたようで、大学のダンスパーティやコンサートでよく姿を見かけたそうです。
「自分から積極的に友だちの輪を広げていく方」。
当時を知る人は、そう語っています。
雅子さんが数理経済学の分野に進んだのは、父の恆さんのアドバイスがあったためでした。コンピュータを駆使する難しいテクニックが必要な学問は、若いうちしかできないからです。
「政治学と法学は、もっと経験を積んでからでも遅くない」
と、恆さんは考えていたようです。
こうして雅子さまの世界を俯瞰する知識と語学力は、アメリカの最高峰の大学の中で磨きをかけられていったのです。
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愛子さまをご出産されたのち、適応障害になり長期の療養生活を送られた雅子さま。ご成婚から10年を迎え、病と闘われているご様子に触れた作品です。雅子さまをやさしく包み込む、皇太子浩宮さまと美智子さまの愛に胸打たれます。
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)
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