延べ13000人が参拝した「興福寺中金堂落慶法要」
阿修羅像などで知られる奈良の興福寺は、710年に藤原不比等によって開かれました。その本堂にあたる中金堂(ちゅうこんどう)は、何度も焼失と再建を繰り返してきたお堂。江戸後期の火災の後は仮堂であったその中金堂が、300年ぶりに再建され、天平の創建当初の姿が蘇りました。その落慶法要が営まれたのは平成30年10月のこと。5日間にわたって執り行われたこの法要で、御仏にお茶を献じる「献茶の儀」に挑んだのが、『茶のある暮らし 千宗屋のインスタ歳時記』の著者である、武者小路千家家元後嗣の千宗屋(せん・そうおく)さんです。
気鋭の作家の作品とともに臨んだ「献茶の儀」
ひとりの茶人が5日間連続で献茶に臨むのはまさに前代未聞のこと。当時の興福寺貫主・多川俊映師より「直々に」しかし「立場は度外視して」、「好きなように」していいと依頼された宗屋さんは、日頃信頼をおく新進気鋭の作家による、すべて新調された道具によって献茶に挑んだのです。
伝統を継承する一方で、今に生きる茶人として国内外でも注目を集める宗屋さん。まさに現代の茶の湯の担い手として、時として「利休再来」と称される宗屋さんのプロデュース力によって整えられた、この日のために作られた茶道具。現代作家による洗練された世界でした。
塗師(ぬし)赤木明登作の薬壺(やっこ)形茶器、天目台。「白瑠璃碗」は津田清和作。「奈良三彩」の茶碗は加藤亮太郎。神代欅(じんだいけやき)製の台子(だいす)と、中金堂再建時の余材を用いた茶杓は佃眞吾作。釜、風炉、南鐐(なんりょう)製の水指、皆具(かいぐ)は長谷川清吉作。
茶道具以外での造形活動も展開する活躍目覚ましい作家たちの、天平の心を宿した道具によって、献茶の儀は奉じられました。その準備は三年半に及んだといいます。そしてそれ以上に、古美術はもちろん現代アートにも造詣が深く、多方面の芸術家と交流を続ける宗屋さんと、作家たちとの長い間の繋がりによって生まれたものでした。
緑あふれる空間で今に生きる茶の湯展「茶―祈りと楽しみ」
興福寺献茶道具が公開される展覧会の会場は、名古屋市の閑静な住宅街にある邸宅美術館。名古屋の実業家・古川爲三郎の収集品を展示する「古川美術館」の分館として公開されている「爲三郎記念館」です。爲三郎が住んだ日本家屋は、急勾配の斜面を利用して建てられた趣のある数寄屋造り。日本庭園を眺めながら抹茶と和菓子を楽しめるなど、普段から“茶の楽しみ”を味わえる空間ですが、今回は「武者小路千家―官休庵」そして「官休庵と名古屋」など多彩な展示で、「千宗屋好み―興福寺中金堂献茶道具初公開」の世界の理解がより深くなる構成です。
茶の湯の今昔を多角的に捉える魅力的な展覧会。茶会や講演会などのイベントも行われます。
「茶-祈りと楽しみ 千宗屋好み興福寺中金堂献茶道具初公開」展
会期:2019年10月19日(土)~12月8日(日)
休館日:月曜日 ただし11月4日(月・振休)は開館、翌日休館
会場:古川美術館 分館爲三郎記念館
〒464-0066 名古屋市千種区池下町2-50
千 宗屋(せん・そうおく)
1975年、京都府生まれ。武者小路千家家元後嗣。斎号は隨縁斎。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学大学院前期博士課程修了(中世日本絵画史)。2003年、武者小路千家十五代次期家元として後嗣号「宗屋」を襲名。08年には文化庁文化交流使としてアメリカ・ニューヨークに一年間滞在。現在、慶應義塾大学総合政策学部特任准教授、明治学院大学にて非常勤講師も務める。17年にはキュレーターとしてMOA美術館にて「茶の湯の美」をテーマに展覧会を行った。古美術から現代アートにいたるまで造詣が深い。著書に『茶―利休と今をつなぐ』(2010)、『もしも利休があなたを招いたら』(2011)ほか。
『茶のある暮らし 千宗屋のインスタ歳時記』
著者 千宗屋 講談社 2700円(税別)
2016年の1月から2017年の12月まで、2年間のインスタ投稿を月ごとにまとめた千宗屋さんによる歳時記。年間の代表的な行事、茶会、日常の一服や稽古のしつらえ、花、お菓子のほか、日本各地の神社仏閣や行事などが収められています。千さんの日々の生活が垣間見られるだけでなく、お茶の入門書にもぴったり。
『茶のある暮らし―千宗屋のインスタ歳時記』には、赤木明登さんの「青海盆」(左ページ)や加藤亮太郎さんの「紅志野茶碗」(右ページ右下)などの作品が登場します。日々の稽古や暮らしのなかで使われる、宗屋さんの審美眼に適った作品です。
『茶のある暮らし』のほか、料理、美容・健康、ファッション情報など講談社くらしの本からの記事はこちらからも読むことができます。
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構成/講談社生活文化チーム
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