これを書いている現在12月26日ですが、なんだかぜんぜん年末感がありません。今日も取材だし、28日にも2件ある、原稿はもちろん山盛りだし、いつもの月末とまったく同じです。もちろん自業自得だったりもするわけですが、いやいや、そればっかりとは言えないのではないか。「世の中だって悪いと思う」とふわっと責任転嫁したくなるのは、だって街が全然休んでいないんだもの。クリスマス過ぎたら個々にフェードアウトし始めて、三が日まで世の中の小売業もみんな休みにしたらいいのになあ。特に今話題になっているコンビニとかスーパーとか、年末年始は開いてなくたっていいと思うの

 

コンビニ業界のブラックぶりが取り沙汰されている昨今、「”セ●ブン●●ブン”の看板を掲げている店のレベルに、バラツキがあっちゃいかん」というのは、ビジネスとしてはもちろんわからなくはありません。でも「元旦はゆっくり過ごす」という日本国憲法の基本的人権に入っててもいいくらいの当たり前のことを言っただけで、ニュースになるってどういうことなのかしら。常日頃「女性が強く自己主張しないのが日本の文化」とかなんとかおっしゃっているその筋の人達には、こういう時こそ「日本人ならお茶漬けやろがー!」と叫ぶラモス瑠偉よろしく、「日本人なら元旦休むの当然やろがー!」といきり立ってほしいものです。いやほんとに。

 

この種のことで「労働争議」的な展開になった時、これまたテレビの報道でいつもモヤることがあります。例えば佐野サービスエリア(SA)のストライキの一件。人気のSAの営業がままならない状況について、司会者とかコメンテーターとかが「迷惑を被るのは利用者。そこまでしてやるのは」なんて言ったりしていて、私は心底驚かされました。

そりゃ確かに利用者は迷惑を被るんでしょう。年に一回二回、頻繁に来たとしても月に1回くらいしか来ないのに、評判の地元グルメ「いもフライ」「佐野ラーメン」が食べられないなんて~、ってことですね。車は停められてトイレも使えても、食べたいものが食べられないなんて超迷惑!みたいな感じでしょうか。サービス業たるもの、「神様」であるお客様に迷惑をかけるのが最もイカンので、経営者にどんなに理不尽な状況を強いられていたとしても、現場は回すべきなんじゃないの、的な?

でも「お客様のため」の一心で働いていた人の心が折れたり、生活が回らなくなったりしたとして。なにか悲しい事件でも起これば、それまで「迷惑だ」と思っていた利用者は、極めて無邪気に善良に「もっと早くにどうにかできなかったのか」と心を痛めたりするーーんだろうけど、それ何かの役に立つのかしら。

サービス業が極めて発達した日本で、人々の多くは自分のことを「サービスを受ける側」ーーつまり消費者としてしか認識していないところがあります。でも私たちのほとんどは、消費者である以前に労働者であるはずで、誰かの痛みは何かの拍子に自分の痛みになりかねません。この視点を欠落したまま、サービスしてくれる人に「我慢して働け」ということは、やがては自分の首を絞める事になります。

パワハラであれセクハラであれブラック社則であれ、自分が仕事や職場環境で理不尽な目にあった時、自分を犠牲にしてまで忍従することや、それと戦う人を「はた迷惑だ」と後ろ指差すことがなくなる社会に、来年はなるといいなあ。難しい話ではなく、つまるところ他人事を我が事に置き換えて考えられる感性ーー別名「優しさ」を、ちょっと考えた令和最初の年末年始。

そうそう、そしてもうひとつ。私が子供の頃は、近所ではお正月三が日は営業しない店も多く、年末が近づくと母親と一緒にお正月の大量買い出しに行ったものです。紅白歌合戦を最後まで眠らずに見るために、いつもは買わないブラックチョコレートを買い、家族みんな食べる小ぶりのダンボールに入った巨大なポテチを買い、「これから非日常が始まっちゃうぞ!」と気分が盛り上がりーー個人的にはこれもすごく大事なところ。日常の「便利」が機能するようになった年末は、それにより便利だけとつまらない「日常」になっちゃった気がするんですよねえ。
 

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