エッセイスト酒井順子さんによる書き下ろし連載。セクハラに対する世代間の対応の違いを分析した前編に続き、今回は“お笑い”の昔ながらのイジリ芸に感じたこととは……。

古くさい下ネタに痛悲しさを感じつつも……【セクハラ意識低い系世代・後編】_img0
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テッパンだった下ネタいじり芸も今や笑えない


セクハラ意識には、このように世代間の感覚の違いが大きく見られるわけですが、メディアに接している時も、それはしばしば感じるものです。たとえば先日、「探偵!ナイトスクープ」を見ていた時のこと。その時はちょうど、探偵局の局長の役が西田敏行さんから松本人志さんに交代する、という回でした。

 

この番組は、局長も探偵も全員男、というメンズクラブなのですが、唯一「秘書」と言う名のアシスタント役として女性が登場します。西田局長の最終回には、かつて長年秘書を勤め、参院選出馬のため降板した岡部まりさんが、久しぶりに登場しました。

秘書は視聴者からの依頼文を読み上げるのですが、岡部さんは在任中から、性的な言葉が出てくると言いよどんだり、単語を濁して読んだりしていました。それを男性達が無理矢理読ませて困らせるという、昭和風味の男の職場芸が展開されていたのです。

西田局長の最終回においては、とある依頼文に、男性器の名称が記されていました。岡部さんは最初、その名称は口にせず「まるまる」と読み上げたのですが、それに対して西田局長は「ちゃんと読んで」的な指示を出しました。岡部さんはそれに応え、嫌々ながら男性器の名称を読み上げることになった。

このシーンを見て私は「時代は変わった……」と思ったことでした。岡部さんが嫌々、性的な言葉を言わされるというのは、かつてのこの番組における、お約束のシーンでした。西田局長の最後に、ベテラン秘書の岡部さんが駆けつけたからこそ、あえて披露された懐かしの芸だったでしょう。

が、岡部さんが秘書を辞任されてから、はや十年。その十年の間に世のセクハラ概念は激変しました。今、企業において男性上司が部下の女性に、男性器の名称を無理矢理言わせたりしたら、大問題になります。

その昔は私も、岡部さんが性的な言葉を言わされるのを見て、ニヤニヤ笑っていたのだと思います。しかし今の時代に同じやりとりを聞くと、私ですら「え?」と思いましたし、若い視聴者はもっと驚いたのではないか。

このやりとりは、西田・岡部という、70代・50代のコンビであるからこそ成立しました。70代男性が、もしも20代の女性に対して、男性器の名称を言えと強制したとしたら、ハラスメント以上の衝撃で、周囲を凍りつかせそう。女性側が50代であったからこそ、「この人なら受け止めてもらえる」という「昔とった杵柄」感を持って、西田局長は男性器の名称を言わせたのではないでしょうか。その時、両者の間には「昔はこういう時代だったよね」という、そこはかとない郷愁が漂って、私もつい、ほろり……。

お正月などに放送されている、「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」を見ている時も、「え?」と思うシーンがありました。かつては各局で冠番組を持っていたとんねるずですが、今やレギュラーはこの番組のみ。とんねるずへのロイヤリティーをつい発揮してしまう50代としては、「元気にされているのだろうか」と、見ずにはいられません。

しかしそこで「え?と思ったのは、タカさんこと石橋貴明さんが、女性アスリートの体型に言及した時のことでした。運動選手らしいがっちりした身体つきをしていたその女性アスリートに対して、タカさんは何度も、
「ゴッツいねー」
と言っていたのです。

これも、とんねるず人気が全盛の頃であれば、一緒になって自分も笑っていたような会話です。容姿を揶揄したり、若い者に対して強い態度に出たりするというセクハラ芸、パワハラ芸はとんねるずの持ち味の一つ。往時は、とんねるずからいじられる側も、喜んでいたものです。

しかし今になって同じ芸を見ると、かつてと同じように笑うことができません。誰かの容姿を揶揄するというのは、今もあちこちで見られる行為ではあります。お笑い芸人さん達の中には、不細工や肥満、低身長や薄毛といった部分を売りにしている人も多いのですが、その手の人は、揶揄されることのプロフェッショナルだからこそ、おおっぴらな揶揄が許される。

対してアスリートは、芸人ではありません。もちろん彼女はその時、何十歳も年上の人から言われたことですので笑ってはいましたが、それはしばしば、セクハラ現場で女性が浮かべがちな、その場をスルーするための笑み。

お笑いの世界も進化して、今や単なる揶揄芸やイジメ芸は、うけなくなってもきました。一般人の中でも、揶揄行為は、互いが冗談だと確実に認識しあえるようなごく親密な関係においてするのはアリだけれど、それ以外の場ではちょっと……、という認識も深まってきたのです。

そんな中で、芸人さんではないアスリートの体型をあげつらうというのは、「悪い」と言うよりは「古い」芸風に見えたのでした。世の中の変化の波を素通りし、かつての自分と同じあり方を続けるその様子に、同じ50代としては、痛悲しい気持ちを覚えたのです。

このように、セクハラに対する感度は年代によって大きく異なるのであり、セクハラ概念がゆるい我々世代としては、若者に対する言動には、細心の注意が必要であることが、メディアを見ると理解できるのでした。我々は、自分が時代についていっていると思っているので、「自分がセクハラなどするわけがない」と信じてもいます。しかし「女性の変化にいち早く気づくイケてる上司」のつもりで口にした、
「髪型変えた? 可愛いね」
といった発言は、今や自爆行為。同世代のサラリーマンが、
「会社では、もう仕事の話以外は何もしないようにしている」
と言っていましたが、その気持ちも理解できようというものです。


セクハラ扱いが存在しない時代を過ごしてきた世代には


我々も、ずっと上の世代の男性のおおらかなセクハラ発言に驚くことは、今もあります。しかし、たとえば旅先で道を尋ねたおじいさんに、
「○○温泉に行くのかい? よぉ〜し、いっちょ女風呂を覗きに行くかな、グェッヘッヘ」
と言われたとて、私は今の若者のように露骨に嫌な顔をすることは、できないのでした。おじいさんは、セクハラなどという言葉が存在しない時代に人生の前半を過ごしたのであり、その感覚を今さら変えることなど不可能。おじいさんのセクハラ発言は、日頃からヨメや孫娘に苦々しく思われているのであろうが、行きずりの旅の50女である私くらいは、
「あははー、露天風呂は滑るから気をつけてくださいよ」
くらいのことを言ってあげてもいいのではないか、と。

今となっては、その手のおじいさんの発言に、日本人としての心が刺激される気もするのでした。日本人がかつて、夜這いに行ったり夜這いを迎えたり、祭りの夜に乱交状態になったり、はたまた野原で下帯を解いたり結んだりしていた、いにしえの大らかな性のかほりが、そこから漂ってくると言いましょうか。

そのようなかほりを、今の若者にも胸いっぱいに吸い込んでほしいわけではありません。繊細な性意識を持つ彼等がそんなかほりを吸い込んだら、胸焼けを起こすことでしょう。

が、私達はそんなかほりに懐かしさを覚える、おそらくは最後の世代。免許の返納だの何だのとせっつかれているであろうおじいさん達に少しだけほっとしていただきたいという、ほとんど親孝行感覚で、ニヤニヤとセクハラ発言をスルーするわけですが、やっぱり日本からセクハラが撲滅できないのは、そんなことをいつまでもしている私達のせい、なんですかね。
 

前回記事「つらい靴を履き続けてきた受け身世代の功罪【セクハラ意識低い系世代・前編】」はこちら>>