酒井順子さんによる書き下ろしエッセイ。自分のことばかりにかまけていた若い頃から、他人のために生きる時間を経て、50代で訪れる「自分がえり」とは……。

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様々な欲求に再び火が灯る50代


ミモレでは「婦人のひと休み」というテーマを掲げていますが、とある中高年向け女性誌でも、
「『わたし』を大事に生きてみる」
という特集が組まれていました。サブタイトルは、「妻・母・娘はひと休み」というもの。
この表紙を見て私は、「わかる!」と思ったことでした。50代の今、周囲を見ていると、「自分がえり」している人が多いのです。結婚後、気がつけば夫や子供や親といった他人のために生きてきたのが、50代になると、主に子育ての面で一段落。「自分のために生きたい」という欲求が、猛然と湧いてくるお年頃のようなのです。

 

ある友人は、
「おばあちゃんになったら着られないようなものを、今のうちに着ておきたいの!」
と、背中やデコルテの露出が激しいロングドレスを作りまくって、パーティー三昧の日々を送るようになりました。外国のパーティーに着物で出席して、ちやほやされるのもまた、楽しいのだそう。リッチな夫を持っているからできることではありますが、それまではさほど派手なタイプでもなかったので、「実はこういう人だったんだ……」と、周囲は驚いたものでした。

またある人は、ランニングにはまりました。
それまでは長距離を走ったことなどなかったのに、「暇だし、走るだけならお金はかからないと思って」と走ってみたら、意外なことに心肺機能がやけに強く、並の素人よりも全然、速かった。 
一気に調子づいて毎日走らずにはいられなくなり、フルマラソンにも挑戦するように。みるみる身体は絞られて、体脂肪率が2桁を切る勢いに。
「単にマラソンが速いおばさんなだけじゃ、もったいない。走って届けるウーバーイーツでも始めてみたら?」
と、やはり周囲を驚嘆させたのです。

それまで子育てに捧げた時間を取り戻すかのように、何かに没頭する50代は、あちこちで見ることができます。お料理やフラダンスといったお稽古事の教室に通う、というケースが最も多いようですが、勉強欲が再燃して大学院に入ってみたり、愛玩欲が再燃してジャニーズなどのアイドルの追っかけにはまったり、また性欲が再燃してセフレ活動に精を出したりと、様々な欲求に再び火がつけられている模様。

50代は、自分の欲求に対して久しぶりに素直になる年頃なのでしょう。特に子育てをしてきた人は、それまでずっと、自分の欲求よりも子供の欲求を充足させることを優先させて生きてきました。ようやく自分のことを見ることができるようになったからこそ、尋常でない勢いで何かにはまっていくのではないか。

人間、人生の初期は誰しも、自分のことばかりにかまけて生きるものです。受験も就職も恋愛も結婚も、全て「自分ごと」。人生の根本を形成する時期であるからこそ、若者は必死になって自分のことを考えるのです。

やがて結婚して子をなしたりすると、その感覚には変化が生じます。子供を産んだ人はしばしば、
「初めて、自分よりも大切だと思える存在に出会いました!」
と語るのであり、「自分より他人」という新鮮な視点に目覚めることになる。

「自分より子供」という感覚で生きて20年も経つと、状況には変化が生じます。子供はやがて大人となり、親から離れていくように。
私の友人達も、
「娘はボーイフレンドのところに行きっぱなしで、家になんか全然いない」
とか、
「息子は就職して大阪勤務になったから、出て行ったわ」
などと、口々に言うようになりました。子供達は、親の力を借りて自分に夢中になる時期を終えて、自分の力で自分に夢中になるまでに成長したのです。

子育て期には、子供に時間を奪われることをさんざ嘆いていた、友人達。たまに夜遊びができるという時は、髪を巻いて派手な服を着て、積極的に異性(もちろん、夫ではない)にしなだれかかったりしていたものでしたっけ。もはや2次会に行くことすら面倒臭い私が早めに帰った後も遊び続け、
「朝までカラオケしちゃった」
などと言っていたのです。

そんな友人の子供達が、やっと育ち上がって家を出たと聞いたので、さぞや解放感を味わっているだろうと、
「これでやっと好きなことができるわね。よかったね!」
と寿いだところ、彼女は暗い顔をしているではありませんか。
「それがさぁ、寂しくて何にもする気にならないのよ。ダンナは単身赴任だから、家には私一人きりだし……」
と。

子育て中は、ごくたまに夜の街に出たからこそ、「この機会を思い切り味わわなくては」と、朝まで遊び続けることができた。しかし一人になって、毎日でも夜の街に繰り出せるようになると、
「なんか、たいして行く気にならないのよね……」
とのこと。

それを聞いて私は、芥川龍之介「芋粥」を思い出したことでした。たまに、ちょっぴりしか味わうことができないものは、甘露の味。しかし同じものでも「いくらでもどうぞ」となると、「もういいや」となってしまうのですねぇ……。

自分がいなくては生きていくことができない子供という生き物がずっと傍らにいたのが、急にいなくなってしまうというのは、母親にとっては人生初の体験です。特に専業主婦にとって子育てからの卒業は、自分の存在価値の喪失にもつながりましょう。子離れの寂しさとは、一体だと信じていたものが無くなってしまうという、幻肢痛のようなものなのかもしれません。


子ナシ族の「誰かのために」欲求の持って行き場


そうしてみると、50代がハマるパーティーやマラソン、お稽古事や勉強やセックスというのは、子育ての代替行為なのかもしれません。「誰かのために生きる」という、尋常でなく充実感を得られる生き方が一段落ついた後は、何かに没頭せずにはいられないのではないか。

では子供のいない人はどうなるのだ、という話もありましょう。子ナシ族は、基本的に自分のために生きているのだろうから、50代になっても感覚が激変することはないのではないの、と。

私という事例を考えてみますと、30代の頃にムラムラと、「誰かのためになりたい」という欲求が湧いてきたことを覚えています。
私は、自分の子供が欲しいという気持ちはさほど強くなく、誰かのために尽くさずにはいられないという性格でもありません。自分にかまけているのが大好きではあるのですが、それでも自分のためだけに三十数年も生きていたら、いい加減に飽きてきて、「これでいいのか」という罪悪感も湧いてきたのです。

特に私は、仕事の面でもフリーランスですから、若手を指導したり育てたりする任からも、解放されていました。公私ともに誰の役にも立っていない人生に、さすがの私も「いかがなものか」と思ったのです。

とはいえ当時の私には、身近に尽くす対象がいませんでした。独身で子ナシ、親は健在。頭の中でエアー子育てをしてみても、電車の中でお年寄りに席をゆずってみても、「他者のためになりたい」欲求は、さほど満たされませんでした。

 愛情深い同類達の中には、
「養子をもらおうかしら……」
などと真剣に考える人もいたものです。しかしそこまで愛情深くはない私がとった手段は、「お金でどうにかする」というもの。途上国の恵まれない子供を経済的に支援するプログラムに、参加したのです。さほどの金額ではなかったものの、「誰のためにも生きていない自分」という罪悪感を、多少は慰める手段にはなりました。

子ナシ族の友人達も皆、「誰のためにもなっていない自分」に覚える罪悪感をどうにかしたい、と思っていたようで、その手の支援プログラムに参加する人は多かったものです。中には、ちょっとした経済的支援では満足できず、JICAでアフリカに派遣されていった人も。

はたまた、遠い外国の見知らぬ子供を支援しているうちに、どうしても自分の子供のために生きたくなって、頑張って不妊治療を続け、高齢出産をした人もいました。また、高齢になった親の介護をすることで「他者のためになりたい欲求」が十分すぎるほどに満たされた、というケースも多い。子ナシ族達も、色々な方向で他人のためになろうとしたのです。

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支援している子どもに会いにラオスを訪れていたという酒井さん。「他者のためになりたい欲求」とその先……についての分析は後編へ続きます。後編は3月24日(火)公開予定です。

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