マンガ家のアシスタントとして働く23歳のユマは、手足が自由に動かないため車椅子生活者。いつまでも幼い子どものように扱う過干渉な母親を少し疎ましく思う彼女は、自身が生きてゆく道を模索して街に出てます。映画『37セカンズ』は、そんなユマの成長と冒険を描き、リアルでありながらどこかファンタジック、疾走感と感動で描いた話題作です。
女優・渡辺真起子さんが演じるのは、そんな彼女が夜の町で出会った、障害者専門のデリヘル嬢・舞。どこか怯んでしまいそうな要素をはらむこの役を、軽やかさと寛容さと優しさ、そして奇跡的な距離感と爽快感で演じた渡辺さん。ご自身もユマのような時代があったと語ります。

 



その時々の自分をみつける言葉を拾い集めてた


映画を見ていると、舞との出会いこそが、主人公・ユマの人生を変えたとすら思えるのですが、演じる渡辺さんはまるっきり軽やかに、「舞は、いいタイミングで、たまたまユマの行く道にいた”通りすがりの人”」と答えます。「それくらいだったから、相手を裁かない、いい距離を保てたんだと思うんですよ」とも。

 

「難しい役だとは思いました。言い方に気をつけなければいけませんが、いわゆるセックスワーカーという仕事を、私自身がよく知らないし。今回は障害を持つ方々が抱える人生の切実な問題、それを解決する大事な存在として頭では理解はするんですが、そこに至る人生がどんなものなのか、簡単にわかっているとはいえないし、想像しきれない。同時に、そういう方たちの人生を誤解させるようなことがあってはいけないって思いました。ただ、キャラクターとして彼女自身が、自分の人生を自己肯定していてもいいんじゃないかなと。明るすぎず暗すぎず、学校にも通い、友達もいて、恋人や夫がいたこともあり、良いことも悪いこともあった人。いわゆる普通に働き、生きてきた人……というふうに演じようかなと」

23歳ですが「少女」という言葉のほうがしっくりくるユマ、そんな彼女が町をゆく姿はヒヤヒヤで、大人であれば親ならずとも「あああ、気をつけて」とつい口を出したくなります。でも「年長者からどんなに注意されても、若い頃は「それでも自分でやってみたい」と思うものじゃないですか」と、渡辺さん。

「私自身、バリバリにありましたから、そういう時代が。当時は反抗してるつもりは一切なかったんだけど、学校の時間割さえ疑問があったというか、理解ができなかったんです、なんで今算数やらなきゃいけないのか、とか、なんで今ご飯食べちゃいけないのか、とか。ちょっとおっとりした子だったし、わかんないな、なんでなんだろうな、誰も答えてくれないなって、立ち止まってばかりで。大人から『考えすぎ』と言われるのが、一番辛かったですね。自分としては反抗していたのでなく、理解が足りないだけでしたから。

それで、家庭でも学校でもパシッとした答えが見つからず、外の世界に、町に出ちゃったんです。そこで舞みたいな”通りすがりの人”にたくさん出会いました。例えば、ある同級生のお母さん。家に遊びに来た私のことを、電話で通話中の相手に『今、ウチに”若い女”が来ててさ』って話してるんです。え、私って女?ああ、確かに、みたいな(笑)。当時は保護者のいる学生であることが自分のすべてのように感じていたけど、そういう“属性”じゃなく、自分はただそこにいる一人の人間だってことに気付いて、ハッとしたんですよね。教訓的な言葉じゃなく、そういう、ほんとに小さなこと、その時々の自分をみつける言葉を拾い集めていたんだと思います。

もちろん両親とか、私の責任を取らなければいけない人たちからは、あたりまえですが厳しくやいやい言われて、その戦いはすごくありました。でもそのままじゃどうしても生きづらくて、何か答えを見つけたいっていう思いで一杯だったんです。」

 


モデルから女優へ転身――
女優には「生活」が大切だと感じた


舞はユマにとっての「運命の人」ではないと同時に、人間としても「同級生のお母さん」や「すれ違った見ず知らずの女の人」のような、あまり知らない「普通の人」です。誤解を恐れずに言えば、渡辺さんが演じると、DV被害者の妻でも、ベテラン刑事でも、田舎のオバさんでも、共通する「普通」のリアリティが漂います。「普通とは何か?」という問いに具体的に答えるのは難しいのですが、それでも役を「普通」に演じるという考えは、ご自身の中にもあるようです。

「モデルをやっていた10代後半~20代前半の頃は、“普通じゃない人になろう”としていましたね。日常よりはテンション高めでネガティブなものは人には見せない――先輩からもそう教えられたので、自分をわかりやすく強くしていって、顔つきもどんどん変わっていって。ところが俳優をやり始めたら、どこに行っても『モデルさんみたいだね』って言われるんですよ。それってどいうことだろうと考えて、女優には“生活”をみせていくことがが必要なんじゃないか、と思ったんですよね。それを意識するうちに、身についていったのかもしれません。とはいえ、私は自分の演技の才能を信じてないんです。自信がないです。結局は自分が持っているもの、経験が全てで、私には限界がある。ただ、そうやって生きてきた時間は表現できるかもしれない……と。それはそれで難しいことなんでしょうが(笑)」

出演作が激増したのは2007年。「ベストタイミングで出会えた」と語る河瀨直美監督の『殯の森』が、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した年です。そこから数年内に、渡辺さんはご両親を相次いで亡くしたといいます。

「親が生きているうちにテレビに出たい」という思いがありました。テレビドラマに出演できたら、家でもみてもらえるじゃないですか。ふらふらしていた子供の頃、「今、両親や周囲の人達にかけている心配は、いつか大人になったら恩を返そう」と思っていて、安心させる、っていうと甘い言葉になってしまいますが、自分の好きなことばかりではなく、お世話になった人たち、仕事ってことと本当に向き合いたいと思って。それが一番大きいかな、その時に、また新しい世界も広がりました」

 

アウター¥160000、トップス ¥23000、チュールのスカート ¥160000/以上全てKEITA MARUYAMA

インタビューする前は「ユマを導いたカッコいい大人=舞」そのままのイメージを持っていましたが、お話を聞くに連れ、渡辺さんはむしろ「ユマ」――自分の納得の行く生き方を探して外の世界に飛び出したーーに近いようにも思えてきます。「考えすぎ」と言われて傷ついていた彼女が大事にしているものは、もしかしたら今もあまり変わっていないのかもしれません。

 
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