私が自分でシンガポール人の保護者にインタビューをしている中では、同じ国といってもその教育観にはかなりのバリエーションがあると感じますし、この著者にはやや単純化しすぎている面はあると思います。ニューヨークに移住したスペイン人の私の友人は、欧州やアジアに比べてニューヨークの親たちは大学に入れやすいからとスポーツを極めるのに必死だと驚いており、入試などを含むシステムの違いにより、西欧型と呼ぶものの中にも多様性があるのだとも思います。

 

ただこれを読んで気付き、そして少し不安になったのは、日本人の親たちは、この対極にある2つの価値観の両方を取り入れようと躍起になっているのではないか? ということです。計算練習や漢字練習はアジア的に、そして読み聞かせや音読も西欧並みに重視。塾にも行かせるけれども、外遊びや自然と触れ合う経験もしっかり入れていく―――。

 

もちろん様々な在り方の中から良いところは盗めばいいと思うのですが、あれもこれもとやろうとしていくと、子どもも親もいっぱいいっぱいになってしまわないか。そもそもあれもこれもやりたくなってはいる、けれどやらせてあげられないことでまた罪悪感を抱くという話もよく聞きます。本田由紀さんの著書『家庭教育の隘路―子育てに強迫される母親たち』でも、一部の母親は成績や塾、習い事などに力点を置く「きっちり」要素と、外での遊びや多様な経験を重視する「のびのび」要素の両方を目指す傾向が言及されています。

私の息子の学校では今サッカーが大流行中ですが、勉強はさておきサッカーでみんなの人気者の子がいれば、サッカーはしないけれどYouTubeで独学で習得したルービックキューブが得意な子など、十人十色です。別にオールマイティじゃなくてもいいし、好きな分野はそれぞれにあって、みんな違ってみんないい。

そもそも教育のゴール自体が様々である上に、絶対に効く方法などないのだから。あまり情報過多になって、認知能力も非認知能力も読解力もプログラミングも、と焦っている方がいたら、私としてはお母さんちょっと落ち着いて、と言いたい。すべてをバランスよくやろうとしないで、とりあえずは何か1つお子さん自身が気に入っていることを、できる範囲内で背中を押してあげたらいいのではないかなと思います。

前回記事「新型コロナウイルスへの対応からみるその国の「危機感」」はこちら>>

 
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