私たちは人生100年時代の「自分らしい人生」を、どうデザインしていけばいいのでしょう?
多様な生き方・働き方を実現する女性専門の人材エージェントWaris(ワリス)共同代表の田中美和さんが、転職や再就職、独立などの「ライフシフト」を経験した女性たちのリアルストーリーを通じて、人生100年時代を生き抜くキャリアのヒントをお届けしていきます。
※文中の氏名は仮名です。

 

「社会を包む閉塞感に変化をもたらす仕事がしたいんです」

 

独立系の投資会社で、週3日勤務の正社員として働く40代前半のゆかさん。社会人になってからの20年の間に正社員、派遣社員、フリーランス、etc.……とさまざまな働き方を経験。夫の転勤に帯同した時期は専業主婦として過ごした期間もあります。

ゆかさんが社会人になったのは就職氷河期のまっただ中。「企業の成長を促進したり、売上が落ち込んでしまった企業を財政的に立て直したりすることで、社会全体を覆う閉塞感を少しでも変えるような仕事がしたい」と思い、初職に投資会社を選びました。

仕事はやりがいがあった一方、自分の許容量がいっぱいになってしまった、と当時を振り返ります。

「ネットバブルが下火になってきた頃で、一夜にして億万長者になる人がいる反面、会社が倒産して夜逃げ寸前になるような経営者の方もいるわけです」。

急反転するさまざまな人生に、自分の心が次第に追いついていけなくなったそう。また株式市場が冷え込むなか「理想とする投資家像」をうまく描けなかったこともあり、転職を意識し始めたゆかさん。そんな彼女が次に飛び込んだのがテレビの番組制作の世界でした。投資の世界から考えると180度違うキャリアチェンジに思えますが、そこにはどんな想いがあったのでしょう?

「実は学生時代にテレビ局でアルバイトをしていたことがあって、まったく知らない世界というわけでもありませんでした。投資業界で働いていたとき、さまざまな経営者のお話を伺う機会があり、特にものづくり系の経営者の方のお話がとても魅力的でした。自分もものを作る仕事がしてみたい、なるべく上流から下流まで、一連の流れを自分ひとりで作りきれる仕事を……と探す中で、縁があったのがテレビの番組制作の仕事でした。社会の閉塞感に何かしらアプローチできる仕事だったことも理由のひとつでした」

しかし飛び込んだのはいいものの、体育会系の職場に「カルチャーショックの連続でした」とゆかさん。

「当時はデジタル化されていなかったため労働集約的な雑務が多く、寝る時間の確保すら難しくて……。上下関係は厳しいし、アシスタントディレクターからのスタートだったので、どんくさい私はよく叱られていました」

ある有名アスリートの引退特別番組では、これまで出場した1000試合すべての映像をダビングしなければならず、手を腫らしながら徹夜続きで制作したことをよく覚えていると言います。

つらいと感じつつも、業界にはその後10年にわたって在籍。ゆかさんを支えたのは「伝える喜び」でした。

「企画から取材、編集、原稿作成までの幅広いプロセスを自分でコントロールできるようになってゆく手ごたえがあって。スポーツ・医療・子育て・生活情報・アート・海外情報……と色んなジャンルの情報番組やドキュメンタリーを制作しましたが、どの話題を取っても、個人が日常感じている閉塞感に向き合うヒントを提供できるんですよね。あと、誤情報は流さないという使命が私自身に非常に合っていたんだと思います」

 
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