先日、岡村隆史さんのラジオでの発言が非常に多くの議論を巻き起こしました。この内容自体はもういろんなところで意見が交わされていることですから、ここでは取り上げません。むしろ私がこの騒動を眺めながら思ったことはただひとつ。

推しが失言をしたとき、オタクたちはどう処すべきか、ということです。

ナイナイ岡村の炎上騒動から考える「長く愛される推し」に必要なモノ2つ_img0
自身がパーソナリティを務めるラジオ番組「岡村隆史のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)での発言が問題となった、ナインティナイン・岡村隆史。14日深夜の放送では、今後は相方の矢部浩之が合流、2人体制で番組を継続していくと発表された。写真:Motoo Naka/アフロ


もしも推しが失言をしたら、僕は無言の仏になる


まず見られるケースが、完全擁護派。「推しは何も悪いことを言っていない」と力強く肯定をするタイプです。この気持ち、それはもうむちゃくちゃよくわかるのですが、発言の内容をよく理解し、賛否を踏まえた上で「推しは悪くない」なのか、推しを信奉するあまり思考停止状態になっているのかで、だいぶ意味合いが異なります。

 

なるべく思考停止にはなりたくないな、というのが僕の推し道。そうしないと、同じことを別の人が言った途端、「あの発言は問題がある!」と小早川秀秋ばりに寝返りそう。石田三成も大泣きです。

とは言え、推しも人間。確かに発言の内容に問題はあったかもしれないけれど、よく反省して、これから言動を改めるなら今回は不問とする、というスタンスは僕も大いに共感します。

むしろこれだけは避けたいなというのが、「今までずっと応援してきましたが、この発言にはガッカリしました。ファンやめます」と頼まれてもいないのに推しに突撃訪問しにいくスタイル。基本、自分が勝手に推しはじめたものなので、去るときも勝手に去っていけばいいだけの話。わざわざ推しに直接宣言する必要はないし、「今までずっと応援してきました」の前置きが「味方だった自分を怒らせたあなたが全面的に悪い」と相手の反論を封殺する鉄の盾になっているようで、なんだかちょっとズルいなと思うのです。

では、実際、推しが失言をした場合、僕はどうするだろうなと考えたのですが、おそらく完全沈黙派。これだけ何も言えないのは、THE JAYWALKか僕ぐらいです。だって、推しの言っていることが何でも正義とは思えないけど、かと言って悪し様に非難する気にもなれない。一生分の黙秘権、ここで行使させていただきます。

というか、これはもはや推しに限らずなのですが、人それぞれ育ってきた環境が違えば、価値観も異なるもの。夏がだめだったり、セロリが好きだったりするのです。その差を感じれば感じるほど、他人に自分の正義を強要するのはためらわれますし、ましてや相手を矯正しようとするのはいささか傲慢な気がします。

だから、何も言わない。ただ静かに傷つくだけ。

何より、推しがいろんな人からあれこれ言われている状況が、いちばんの心の毒。批判も擁護もどっちもガソリンでしかないので、一刻も早く鎮火させるためにも余計な燃料は投じない。

仏も三度までは大目に見てくれるそうなので、ひとまず仏になったつもりで座禅でも組み、だけど心の中で1本目の指をそっと折って、残り2本の指が折られないことを願うばかりです。

そして、こうした炎上社会を生きる身として願うことは、推しにはどうかスマートな振る舞いを身につけていただきたい、ということ。実際の考えは人それぞれですし、先ほども申し上げた通り、相手の考えを変えようとする行為自体あんまり得意ではないので自由にしていただいたらいいのですが、せめて人前に出るときは「言っていいこと/よくないこと」の感覚を常に最新版にアップデートしてほしい。

こういう話題に及ぶと、よくお噂を聞くのが、Sexy Zoneのみなさま。同グループの中島健人さんは握手会に来た男性ファンが「男ですみません」と謝ると、「ありがとう! 僕たちは結婚だけができないね」と返したのだとか。これぞダイバーシティ時代を象徴するスマートな切り返し。これからの芸能人には、こうした感覚はめちゃくちゃ重要だな、と感じ入る五月です。

 
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