俳優オタクが避けられない、推しの作品選び問題


一方で、こうしたことをつらつらと考えていると浮かんでくるのが、推しの供給に対して僕たちはどれだけイエスと言い続けるのか、ということです。俳優オタクにとって最も顕著な例が、推しの出演作。それが自分にとって今ひとつだったとき、オタクたちはどのように振る舞うべきなのか、一人ひとりの生き様を問いただされるわけです。

 

これまた厄介なことに、僕は推しが出ているからと言って、その作品を全肯定できるかと言うとまったくそうではなく、むしろ冷静に距離を置いて見つめてしまうタイプ。いや、推しが出ていることで少なからず加点が入ることは否めません。けれど、そんな加点をさくっとマイナスにしてしまう出来の場合、地獄が始まる。

 

つまらないと思った作品にはつまらないと言うべき、というのが正しい姿勢なのはわかります。そうやって声をあげることで、質の低い作品は自然と淘汰されますし、何よりオタクだからと言ってなんでもかんでも受け入れるほどチョロくはないのだという証明にもなる。

それも承知した上で、俳優オタクにとって難しいのは、でも別に推しが悪いわけじゃないし……というジレンマ。作品の出来云々というのは、いち俳優ではいかんともしがたいのが正直なところ。むしろこの内容で推しは一生懸命頑張っていると思うと、なんだか涙が出てくるし、その頑張りに水を差すのは避けたい。だからと言って、自分に合わないと思う作品に時間とお金を注ぐほど、僕は優しくはないのです。

その結果、僕はふたたび無言の仏になる。ただそっとそのコンテンツが息を引き取るのを黙って待つだけの仏。そして、どうか推しがこの監督や脚本家と二度とご縁がありませんように……と祈って、1本目の指をそっとまた折るのです。

ただ、こちとら俳優オタク。推しの画像だけを見ていれば満足できるのかと言ったらそんなことはなく、やはり推しの芝居が見たい。だから、その次の作品も、その次の作品も自分のセンスと合わないと、なんだかどんどん悲しくなってくる。「もしかして推しと趣味が合わない……?」と思えるパターンはまだ救いがある方で、特に若手の場合、まだまだ自分で作品を選べない人も多く、だからこそ推しに非があるわけでもないのに、少しずつ確実に心が離れていってしまう自分に罪悪感を覚える始末。

ただ好きなだけでは長続きしない難しさが、俳優オタクにはある気がします。

サステナビリティ(持続可能性)という言葉がありますが、推し事もまたサステナビリティが大事。結局、

・感覚をアップデートし続けること
・作品選びがうまいこと

この2つを揃えた推しこそが、この時代において最もサステナブルな推しではないかと思う次第です。
 

前回記事「SNSで話題の史上最強沼・タイBLドラマ『2gether』の素晴らしさを語らせてくれ」はこちら>>

「推しが好きだと叫びたい」連載一覧
第1回:あの日“推し”に出逢って、僕の人生は変わった
第2回:荒みがちな心を癒すのは“推しのいる生活”
第3回:ドラマ『恋つづ』から考える、推しのラブシーン問題
第4回:自粛生活では新たな推し=生きる燃料。朝ドラ俳優・窪田正孝の底知れぬ魅力
第5回:こじらせてると解ってる、でも言いたい「推しに認知されたくないオタク」の本音
第6回:「推しの顔が好きすぎて語彙力死ぬ」問題をライターの僕が本気で考えてみた【ライター横川良明】
第7回:やっぱり顔が好き!顔から推しに堕ちたオタクを待つさらなる落とし穴【ライター横川良明】
第8回:SNSで話題の史上最強沼・タイBLドラマ『2gether』の素晴らしさを語らせてくれ
第9回:ナイナイ岡村の炎上騒動から考える「長く愛される推し」に必要なモノ2つ
第10回:転機は高橋一生だった。推しの肌色面積問題、着てる方が好きなオタクの意見
第11回:オタクの心の浄化槽。男子の“わちゃわちゃ”が今の時代に求められる理由
第12回:推しが好きだと叫んだら、生きるのがラクになった僕の話

 
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