渡辺ミキ社長、私よりも“青木さやか”を諦めなかった理由を教えてください
ミモレで2021年に公開されたインタビューのうち、特に人気があった記事をご紹介します。よろしければぜひご一読ください。
タレントの青木さやかさんが「誰しも45歳で一度オワコンになる」をテーマに、人生を変えてくれた恩人と対談するこの企画。3回目のお相手に青木さんが選んだのは、自身が所属するワタナベエンターテインメントの渡辺ミキ社長。デビューから現在に至るまで、誰よりも青木さんの近くにいた渡辺社長は、どんなに反発しても、自己否定に陥っても、絶対に見捨てることはなかったと言います。「ブレイクできたのも、今こうしてお仕事を続けていられるのも、社長のおかげです」と語る青木さん。深い絆で結ばれたふたりですが、これまでの道のりにはたくさんの紆余曲折があったそうです。
「どこ見てんのよ!!」がなかったら
もっと早くにくたびれていた
渡辺ミキ社長(以下、渡辺):青木さやかとの出会いは、事務所ビルの地下1階にある「表参道 GROUND」のお笑いライブに出演してもらったのが始まりでした。青木のステージを見て、度肝を抜かれたのを今でもはっきりと覚えています。毒があるのに、品がいいし、さらに声もいい。お笑いというカテゴリを明らかに超越した存在だったんですね。「どういう育て方をしたら、あんな人ができるのだろう?」って、ライブを企画したマネージャーにも話していたくらいです。
青木さやかさん(以下、青木):ステージを見てくださって、「ウチに興味ありませんか?」って声をかけてくださったんですよね。私も、面接で初めて社長とお会いした時のことをよく覚えています。手書きの履歴書のようなものをお持ちしました。 あと、自分が1年後、5年後、10年後にどうなっているか、未来年表のようなものも書いていきました(笑)。
渡辺:そうそう、どちらもとってあります。タレントさん一人ひとりのアップデートで重要そうだなと思うものは保存するようにしていて。この資料も、青木にとっては大切なものだからね。履歴書、せっかくだから改めて見てみましょうか(笑)。
青木:えー! とって下さってるんですか。
渡辺:もちろん。大切な資料です。最初は普通の自己紹介から始まっているけど、「父は高校のときにネパールに旅立ち、以来会っていない」「母は私がお笑いを志したことに対し、気が触れたと思っている」「漫画は『機動警察パトレイバー』ばかり読んでいる」……。
青木:なんですか、これは。困った人ですね私は(笑)。
渡辺:真面目に書いているのか、ネタなのか、それがわからないのが面白いよね。自分が言っていることに対して、照れが見え隠れしているんです。本当のことは言いたくない、自分自身を見つめたくない、みたいなね。
青木:たしかに、そういうところがあります。
渡辺:これを見ていても思うけれど、青木はうそをついていないし、誠実だし、真面目だよね。だからこそ私は、この人は絶対に笑いのセンスがある!って思っちゃったんです。「ロンドンハーツ」の(田村)淳さんも、プロデューサーの加地(倫三)さんも、「青木は真面目だから面白い」って言ってくださったじゃない?それってつまり、この履歴書で私が感じたこととまったく同じなんです。
【写真】絆の強さが伝わる
渡辺ミキ社長&青木さやかさん
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