人生は迷いと選択の繰り返し。とくに最近は、日本の社会全体が女性に輝くこと=もっと働くこと(!?)を求めるようになり、「私の働き方はこのままでいいの?」と悩む女性も増えているよう。凛として立ち、人生で起るすべての出来事をしなやかに受けとめる……そんなパブリックイメージのある壇蜜さんですが、彼女もまた、"壇蜜”として生きる覚悟を決めるまでは、紆余曲折の繰り返しだったと語ります。

 

壇蜜 1980年生まれ。昭和女子大学卒業後、調理師免許を取得、また冠婚葬祭の専門学校にも通う。和菓子工場、銀座のクラブ、大学病院など様々な職場を経験した後、2010年に29歳のグラビアアイドルとしてデビュー。女優として多数のテレビや映画に出演、2013年、映画『甘い鞭』で日本アカデミー賞新人賞を受賞。執筆活動からコメンテーターまで幅広く活躍中。著書に『たべたいの』『壇蜜ダイアリー』『死とエロスの旅』、初の小説『はんぶんのユウジと』も大好評! 2019年、漫画家の清野とおる氏と結婚。クリエイター同士、「お互い変えない」ことにチャレンジする結婚としても注目を集めている。

 

 

死と生に向き合う現場で、初めて
「私はここにいていいんだ」

 

コメンテーターとしての軽やかなコメントも、連日報道されるなど、新しい魅力の開花がとまらない壇蜜さん。ワンピース/Room211

「未来がまだあやふやな10代の終わりの頃は、ちゃんとした人生を送るためには、資格を取って手に職をつけて働かなければダメだと、真面目に頑なに思いこんでいました。家でも学校でもそういう価値観で育ちましたから、そのまま大学で教職課程を学んだり、調理師免許の資格を取ってみたのですが、何かが違っていて……。和菓子の工場や通信会社などいろいろな仕事の場を経験して、最後に『ここが私の居場所、私はここにいていいんだ』と思えたのが、大学病院の法医学教室でした」

壇蜜さんが選んだのは、法医学教室で行われる行政解剖の助手。自殺や行き倒れなど犯罪性はないものの、不審な死を遂げた人の体を解剖して死因を探る仕事です。人生でもっとも華やかな日々を楽しめる20代であえて過酷な現場を選ぶ、彼女の心の中にある、何かヒリつくようなものを感じずにはいられません。


「ずっと立ちっぱなしで、肉体的にも精神的にもかなりきつい現場でした。家族からも、『あなたがやらなくてもいいことでしょう』と言われましたし。でも、ご遺体を通じて生と死に向き合うことは、私の人生にとって大きな意味があったんです。親は私のことを心配して言ってくれたのだとは思いますが、いわゆる世間的に“ふつう”の仕事に就こうとして何度も失敗をしたのに、また同じことを繰り返すのか。それでも親の望みを叶えながら、やんわりと自分の心が壊れるのを待つのか……」

そして彼女が選んだのは、ふつうではないかもしれないけど、自分らしく生きること。銀座のクラブで働きながら行政解剖の助手を務め、さらに芸能事務所にも所属。29歳という遅咲きのグラビアデビューながら、唯一無二の存在感で世間を魅了し、”壇蜜”という生き方を確立していきます。

「もちろん、芸能界で働くことと、他のお仕事について同列に語るのは難しい。でも、年齢を重ねて40代50代になってから、ほんとに自分がやりたいと思うものに出会うことがあると思います。そのとき、『いまさら……』と諦めるのではなく、『いまさらだけど、がんばってみよう』という勇気を持てたらすばらしいですよね。自分が何を求めていたのか、それがわかって納得して選んだものなら、ずっと手放さずに愛着を持ってやり続けられるはず。女性の人生は、『いまさらだけど』と思ってからが面白い、私はそう思います」

 
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