「人を許すのは大切」の誤解2:許さないことが、むしろ「愛」であることもある


「許すことは大切」であっても、愛する相手の場合は特に、「反省していないのに許す」という行為は間違っているもの。相手をきちんと反省させること(=相手の成長を促すこと)が、大きな意味で「愛」だと言えますしね。
例えば、パートナーが、浮気など何か裏切り行為をしたり、傷つけるようなことをしたりしていながら、反省の色が見えなかったら、きちんと叱ったほうがいいもの。
逆に、「これで何か言ったら、相手の機嫌が悪くなって、生活しにくくなるから許す」というのは、相手のためではなく、単に“自己保身”に過ぎません。また、実際に許しているようで許せていないことは多いので、我慢と恨みが積み重っていくと、ある日、怒りが爆発して離婚を切り出す、なんてパターンも少なくありません。

 

当たり前ですが、自分の子供が、万引きなど何か悪いことをしたら、叱らないといけないし、反省もしていないのに許すわけはいきません。もちろん、愛しているからこそ、誤った道に進まないために叱るのです。
だから、「反省することを促すこと」は大切ですし、それができていないのに許すのは違うもの。つまり、「人間なんて、失敗することもあるから、仕方ないよね~」なんて言っていられるレベルではないこともあるので、「ただ単に、許せばいいわけではない」のです。

逆を言えば、自分にとっては「包容力がある」つもりであっても、相手を許してばかりいたら、結局、自分が苦しむ結果になることも多々あるもの。
例えば、「パートナーがわがままで困る」と嘆く人はいますが、わがままな態度というのは、“わがままを言える相手”がいるからとれるものです。
どんなにパートナーの前では自分勝手な人でも、あらゆる人に対してわがままを言っているかというと、そんなわけではないことも多いもの。「言う相手を選んでいる」ものです。
つまり、嫌なことはきちんと拒否しなければ、相手は「それでいいんだ」と思ってしまうことも多いので、伝えたほうがいいのです。

とはいえ、「許す」「許さない」「叱る」「叱らない」というのには、人生哲学も関係します。単に法律やルールを違反している場合は分かりやすいですが、そうでないものに関しては、人によって「正しさ」は違ってきます。
当たり前ですが、「自分の理想通りのことをしてくれないから叱る」というのは違います。例えば、親が子供に、やたら「勉強しなさい」と叱ったり、ある程度の年齢になった独身の子供に対して「結婚しなさい」と小言を言ったりするのは、親にとってはそれが「正しいことだ」と思いがちですが、子供にとってはそうではないこともあります。
また、時と場合によっては、決められたルールがおかしいこともあるので、“本質を見る目”が必要なこともあります。
だから、「叱ることが愛情になる」こともあるのですが、そうではないこともあることは、念頭に入れておいたほうがいいでしょう。何事もケースバイケースなのです。

ちなみに、先ほどは、「人を許すことが大切」だという言葉には、「(残念な相手を許すかどうかはさておき、)相手に対する恨みは手放して、楽になりましょう」という意味であることもある、とお伝えしましたが、それ以外にも真意があります。それについては、次のページで紹介します。