私がやったのは、いわゆる「断捨離」とは少し違う。そもそも私は、この言葉が持つ暗さが好きにはなれなかった。

そこで考えたのが「お別れ時」という言葉だ。どれだけ大事にしているものでも、いつか必ずお別れしなければならないときが来る。宝物をあの世に持っていくことはできないのだから。
大事なものを手放すのは、もちろんつらいことでもある。古い写真を捨てるときなど、まるで思い出そのものを捨てている気分になり、心臓のところがキュンと痛んだ。

だが、この作業を続けるうちに、気づいた。
ものがなくたって、思い出が消え去るわけではないのだ。「お別れ時」が来てしまうのは仕方のないこと。「ごめんね」「ありがとう」と一つ一つに声をかけながら、お別れをした。

 

いちばん大事なものを真っ先に手放した効果は絶大だった。「これはあの番組に出たときに着た衣装だわ」とか、「この食器は子どもが気に入っていたなあ」といったように、どんな小さなものでも記憶が染みついている。

でも、「エノケンさんのキューピー人形を捨てられたんだから」と思えば、たいていのものは躊躇せずに手放すことができたのだ。大量にあった洋服や靴、食器など、人にあげられるものはさし上げ、それ以外はゴミに出した。捨てたものの量は、なんとトラック七台分にもなった!

「ああ、これでいつでも死ねる――」
ガランとした部屋に立って、思った。この清々しさ、気持ちのよさは、片付けを頑張った私に神様がくれたいちばんのプレゼントだ。