おはようございます!

日中はまだ汗ばむ日もありますが、ふわっと漂う金木犀の残り香が、季節が進んでいることを教えてくれます。山の麓の幼稚園にある柿の木は、すっかりその実を色づかせました。

私が仕事をしているため、幼稚園が終わったら午後もそのまま息子を園で預かってもらっています。いつも夕方ごろに迎えに行くのですが、その時間まで残っている子どもは少なく、だいたい最後か最後から2番目のお迎えになります。

年中・年長クラスの”おにいさん”、”おねえさん”たちと過ごせる預かり保育を、息子は正規の保育時間よりも気に入っているようです。実の兄たちと離れて暮らす彼は、自分より年長の子どもが大好きなのです。

ある日迎えに行ったら、仲良しのおねえさんがいっしょの日でした。ちょうど迎えにきていたおねえさんのママは、園庭で先生と立ち話中。その隣のお砂場でおねえさんと息子が遊んでいました。他の子は皆もう帰ったみたい。

息子を促して部屋に通園カバンを取りに行かせ、靴を履かせるまでがひと苦労。「今日はおねえさんとどんぐり剥いたの」「まだ遊ぶの」と一向に帰ろうとしません。

ようやく靴を履かせ終えたころに、おねえさんが下駄箱の方へやってきました。自分の靴を掴んだらくるりと踵を返し再び園庭へ向かうおねえさんに、息子が子犬のようにまとわりつきます。手に持ったどんぐりをおねえさんに差し出し、ドングリードングリー♪と謎の節回しで歌いながらアピール。

「どんぐりってそんな歌あるんや!」

おねえさんは息子に振り向きざま、歯切れのいい関西弁で答えました。きめ細かなベイクドチーズケーキみたいな肌に、黒目がちの瞳。息子と一学年しか違わないのにずっと背も大きく、大人っぽく見えます。

おねえさんはママのところまで戻ると、手に持った自分のブーツカットスニーカーと母親の履いているブーツを指して、「見て見て、お揃いやねん!」と大はしゃぎ。

その隣で息子は、私の手を引っ張り、「これ、僕のママ」「これ、おねえさん(←名前を知らない)」と私とおねえさんをお互いに紹介します。子どもたちの会話がまったく噛み合ってなくて、おかしい。

息子は、自分の友だちに私を紹介してくれます。うちの夫は、友人同士を引き合わせて紹介することが多いのですが、息子とは別居しているので夫の仕草を見て覚えたとは思えません。ナチュラルに父親に似た行動をとるので、ちょっとびっくりします。

もう帰りますよ、と、おねえさんのママが靴を履くように促すと、おねえさんは、きゃあ!とふざけ声を出して、芝生に背中から倒れ込みました。寝っ転がって足をバタつかせながら「ママが履かせて!」息子もおねえさんの真似して芝生にダイブ!

幼稚園から見える山の向こうに、ちょうど夕日が差しかかっています。園庭の芝生も、子どもたちにぴったりの背の低い平屋の園舎も、等しく金色の光に包まれる。私たちしかいない庭で、子どもの足が2組、笑い声とともにバタ足パタパタ。夕陽の金粉を振りまいて。

「早く帰ろうよ、遅くなっちゃうよ」独り言みたいに繰り返しながら、このまま時が止まればいいのに、と矛盾した思いが頭をよぎる。

おねえさんがスニーカーを履かせてもらって、さぁようやく帰ろうかと思ったら、車で来ているおねえさん親子は我々とは別方向の駐車場に向かってしまいました。

”じゃあね!ばいばーい!”

おねえさんの明るい声を聞きながら、僕もいっしょに行きたいと泣きじゃくる息子をいなしながら、園を出て坂道を下ります。

いつまでも鼻水と涙を垂れ流し、おねえさんの元に戻るため行手を塞ごうとする息子をかわしながら、ぐんぐん進んでると、私、なんだかふたりの中を引き裂く悪役みたい。

たわわに実った柿の木は、フィニッシュに差し掛かった夕日でいっそう赤く染まっています。

こんなに混じり気なく、人を好きって気持ちって存在するんだ。

身の回りのお世話をしてくれるからでもなく、〇〇ちゃんだけって独占欲でもなく、自意識の写し鏡みたいな思春期の友情でもなく、ましてや恋でもなくて。赤ちゃんからそう遠くない時期にこんな透き通った強い気持ちを持つんだ。

私は自分自身が幼い頃のそれを覚えていないし、もしかしたらそんな気持ち、持ってなかったのかもしれない。私は息子の年の頃、同じこの幼稚園に通っていたことがあります。あの芝生の園庭で、あのとき私は、何を思ってたのかな。好きな友だちは、きっといたのかな。でも、母親に友だちを紹介したりはしなかっただろうな。

息子は私とは別の人間。好きという気持ちをいつも全力で丸出しにしている息子に、なんだか勇気づけられた夕暮れでした。

栗活継続中。御影のセセシオンのモンブラン。生クリームたっぷりの好みのタイプで、土台のサクサクした歯触りと相性ばっちり。細身でのっぽな見た目も可愛かったです。