まなほ これが運命だと思ってあきらめるのではなく、こんな運命は変えてやろうというくらいの気持ちで、どんどん自分で運命を変えるようなことをしてもいいということですか?

寂 聴 もちろん、これが自分の運命だとあきらめ、その運命に素直に従うことも、結局は人にはできないことをしているわけですから、それはそれで、それなりの徳が得られます。

【瀬戸内寂聴さん】「私なんか」と自分を否定してはダメ。「私こそは」と思って生きなさい_img4
 

まなほ 運命は、自分の力で変えることができますか?

寂 聴 私は、そう思います。でも、そうは言っても、運命を変えるなどということはやはり怖いことです。なかなか簡単に変えられるものではありません。自分の力で運命を変えようとすると、非常に怖い思いや、つらい思いをしなければなりません。ですが、それをやってしまえば、他人にはわからない達成感のようなものがあります。

 

まなほ 運命を変えるということは、自分で自分の人生を切り開くということでもあると思います。

寂 聴 切り開く前に、まずはそれまでの運命をつぶすことになります。せっかくの運命をつぶさなくてはなりません。そのまま進んでいたら、何の苦労もしないで済んだかもしれないのに、運命を変えようとすることで、わざわざ苦労を背負い込むことになるかもしれません。ですが、そういうことをしようとするときには、そうせざるを得なくてするのです。

まなほ 運命を変えたからといって、必ずしもいいことが待っているとは限らない。

寂 聴 いいことが待っていることのほうが、むしろ珍しいのではないでしょうか。

まなほ でも、自分で決めたことだから、納得ができるというか……。

寂 聴 そうです。「あなたが勝手なことをしたからひどい目にあっている」と世間から非難されようが、本人は人のできないことをやっているわけですから、たとえそれによってひどい目にあおうが、「それでどこが悪いの」と、かえって開き直ることができるかもしれません。

まなほ 先生も結婚をして、子どもができて、そのままでいれば普通の奥さんでいられたかもしれないのに、自らガラッと変えました。世間からは「なぜ」と言われ、かなり苦労をしたのではないかと思います。

寂 聴 仕方がなかったのです。やってしまったことですから。まったくアホだったと思います。

まなほ でも、後悔はしてないのですね。

寂 聴 後悔はしていません。この歳になるまで、好きなことを好きなようにして生きてきました。何も心残りはありません。

瀬戸内寂聴さん
小説家、僧侶(天台宗大僧正)。1922年、徳島県生まれ。東京女子大学卒業。21歳で結婚し、一女をもうける。京都の出版社勤務を経て、少女小説などを執筆。57年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞、本格的に作家生活に入る。73年に得度し「晴美」から「寂聴」に改名、京都・嵯峨野に「曼陀羅山 寂庵」を開く。女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞、泉鏡花文学賞など受賞多数。2006年、文化勲章受章。著書に『夏の終り』『源氏物語』(現代語訳)など多数。2021年11月9日に逝去、享年99。

瀬尾まなほさん
瀬戸内寂聴秘書。1988年、兵庫県生まれ。京都外国語大学英米語学科卒業。卒業と同時に寂庵に就職。3年目の2013年3月、長年勤めていたスタッフたちが退職し、66歳年の離れた瀬戸内寂聴の秘書になる。著書に『おちゃめに100歳! 寂聴さん』『寂聴先生、ありがとう。秘書の私が先生のそばで学んだこと、感じたこと』。困難を抱えた若い女性や少女たちを支援する「若草プロジェクト」の理事も務めている。

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<新刊紹介>
『今を生きるあなたへ』
著者:瀬戸内寂聴、瀬尾まなほ SBクリエイティブ 990円(税込)

瀬戸内寂聴さんがこの世を去る前に語った、今を生きるすべての人へのメッセージ。愛とは、運命とは、人生とは、そして生きるとは何か。時に自身の波乱の人生を振り返りつつ、温かな言葉で真理を紡ぎます。秘書である瀬尾まなほさんとの対談を通して、瀬戸内寂聴さんが直接私たちに語りかけているような気持ちになる、こわばった心を解きほぐしてくれる一冊です。

撮影/原田康雄(ケタケタスタジオ)
構成/金澤英恵