シンプルで豊かな生活が、羨ましかった 


彼女の一家は、台風で家が損壊しても自分で修繕するし、石鹸だって体にいいものがなければ自然由来のものから自作します。

 

楽しそうなお話から、きらきらした生命力が伝わってきました。ああ、生きるってこういうことだ。東京で心身をすり減らしていた私には、そのシンプルで豊かな生活が心から羨ましくて。

このスピリットを私も再現したい! と思い、東京に戻ってから独自に石鹸について研究を始めました。

家はたちまち研究所の様相。夫は、「また何が始まった!?」って驚いていました(笑)。石鹸というのは劇薬でもある苛性ソーダを使うので、それを正規の手続きで入手し、波照間島のお母さんが作っていたような、シンプルで植物を使ったものを目指します。ハーブやアロマの勉強をして、資格も取得しました。

もちろん食の勉強も始めなくてはなりません。そしてすべては激務の仕事と並行です。それでも理不尽な仕打ちにただ堪えていた頃からすれば、どんなに忙しくても魂が元気になっていきました。

石鹸は試行錯誤の末、納得のいくものができて、まだ売るあてもないのにブランドを立ち上げました。石鹸やラッピングに「AROMA MUSICA」と刻印し、それぞれの香りに名曲のタイトルを名付け、やる気は十分。

そんな風に地道に努力をしていたとき、青天の霹靂。

夫にジャカルタ転勤の辞令がでたのです。

さあ、どうしよう。

以前の私なら、夢の仕事、レコード会社の音楽プロデューサーを手放すことは考えられなかった。倍率数千倍のこの仕事に就くための努力、ついてからのやりがいと苦労。

しょうもないことを言うようですが、人から羨まれ、若いのにチヤホヤされていましたから、このポジションは世間で言うオイシイ仕事なのだということは理解はしていました。手放したら二度とチャンスは来ないでしょう。

それでも私の胸には、あの雪の日の景色が、誓いが、焼き付いていました。

いまこそ心と体の声を大事にしよう。心の声に耳を傾ければ、今一番優先するべきは、授かりにくい体質を考慮してなるべく急ぐべきと言われている妊活でした。夫の任期は3~4年と言われていましたから、帯同しなかった場合、私たち夫婦が子どもを持てる可能性はぐっと低下してしまいます。

私は、夫と話し合い、レコード会社を退職し、ジャカルタに帯同することを決めました。

……もちろん妊活をしながら、やりたいこと、やらなくてはいけないことが頭を駆け巡っていました。