無理して尽くすと、見返りを求める心理
例えば、母親が徹夜をして、頑張って子供のために手編みのセーターを作ったとします。でも、そのセーターは、子供の好みではなく、それを着て外出するのを拒んだとします。そのとき、母親が「せっかく、編んだのに!」と怒ってしまうと、子供にとっては非常に心苦しい状況になります。
多くの人が、「自分が無理して頑張ったこと」に関しては、いい結果を求めたくなる傾向があります。だから、母親からしてみたら、「私がこんなに頑張って、あなたのために作ったのだから、着てちょうだい!」という気持ちになってしまうのでしょう。
そうすると、子供のほうがそれを着ないことに対して罪悪感を覚えてしまうこともあるでしょう。でも、子供が悪いわけではありません。
「自分の努力の成果がでないと、気が済まない母親」と「親に嫌なことを強要される子供」の関係が、円満でいられるかどうかは、微妙です。こういう出来事の積み重ねが続くと、子供は大きくなるにつれ、だんだん母親から離れたくなってくるでしょう。
世のお母さんに限らず、「私(僕)は、こんなにパートナーに尽くすのに、どうしていつもフラれてしまうのだろう?」という人も、気づかないところで“見返りを求める言動”をしている可能性はあります。
多くの人にとって、「相手の期待に応えてあげないと(相手を受け止めてあげないと)、相手は被害者で自分は加害者になってしまうような状況」は、居心地が悪いものです。
だから、頼まれてもいないことをして、相手が喜ばなくても、「せっかく、してあげたのに!」という言葉は、口に出さないほうがいいのです。それは、“相手を加害者に仕立て上げる言葉”だからです。
「自分がしたいからする」くらいのほうが、うまくいく
“依頼されていないけど、相手のためにすること”に関しては、「自分がしたいからする」くらいのほうがいいもの。しかも、自分も「無理しない程度にする」ほうが関係はうまくいきます。
そのほうが、思い通りの結果にならなかったときも、諦めがつくからです。
誰もが、頑張ったことに関しては、成果(報酬)を求めてしまうものです。それは仕方ありませんが、残念ながら、人によっては、「頑張り方を間違ってしまっている」こともあります。
世の中には、「頑張る必要がないこと」「むしろ、頑張らないほうがいいこと」があります。相手に求められていないのに、自分が無理をしてしまうことは、「しないほうがいい頑張り」になりやすいもの。
だから、もしするのだとしても、「自分がしたいからする」くらいのスタンスで、「それをどう受け取るかは、相手の自由」だと思える状態にしていたほうが、自分も相手も楽な気持ちでいられるでしょう。
なぜ人は、無理をすると成果を求めるのか。それは、無理をすることは「自分を犠牲にする行為」、もっと言えば、「自分を大切にしない行為」だからです。
自分を大切にできない人は、人のことを大切にできません。だから、うまくいかないこともあるのです。それについては次のページで紹介します。
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