普段私たちの着る洋服は仕事やライフスタイルのTPOに合わせてだったり、その時代のムードであったり。OLという言葉が闊歩していた少し前までは(今となっては死語?)コンサバが王道。20代の頃、洋服の販売員として働いていた時に感じていたのが、売れるものが皆んな一貫して同じテイストのものだったり、このお客様にはこっちの方が絶対似合うのに・・・と思っても試着するまでもなく「雑誌の●●ページに出てたこれが欲しい」とスルー。販売員も「雑誌に出てた・有名人が着てた」が売り文句で、人気商品は実物見もしないで電話でキープ。プレス至上主義で洋服が売れる時代でした。

雑誌はライフスタイルやファッションでも先駆けだからこそ、憧れや面白みがあるのでは?と、ある編集者に話したことがあるのですが、「いえいえ、とんでもございません、私たちは購読者からご教示いただきながら雑誌を作っているので、そんな大それたこと思っていません」と。『えっ?ファッション誌って購読者にとってファッションの教則本的な立ち位置じゃないの?』と心の中で呟いたのを覚えています(笑)。

全ては「お客様(購読者)に寄り添う」という思い。それはそれで素晴らしいことだとは思うのですが、寄り添いすぎて、どの雑誌もお店も打ち出すブランドが同じだったり、モノも似たり寄ったりで「フェイスが一緒に見えてしまう→満腹感&ワクワク不足→売れずに在庫→廃棄」の連鎖を生み出す結果にも至っているのでは・・・そんなこと思ってしまう私です。

以前からこの方の洋服に対する哲学がとても好きで、新刊が出たり雑誌のビジュアルもキープしたりしてるのがスタイリストの北村道子さん。若い頃何かの媒体で彼女のスタイリングを始めて拝見したとき「洋服って生きてる、かっこいい!」と感じたことを鮮明に覚えています。着ている人のキャラクター、生き様やストーリーを感じ、服が演出してくれる。まさに服の持つ力です。

SWITH 2019年10月号「SCIENCE FASION 北村道子」特集の1ページ。SFの三作品に見立てたファッションストーリーはどのページめくっても圧巻。ファッションだけでなく、早くに亡くなった父親からの影響や母の最期を見送った時の赤裸々な思いを綴ったインタビューも印象深く、北村道子さんの強さとクリエイティヴの原点を感じた一冊。

「服は武器、人生そのもの」だと彼女はこの著書の帯でも語っています。もちろん「衣裳」としての捉え方は一般の私たちとは違うのですが、彼女の発する言葉は潔く、深く共感できるところも。

先日WWDのインタビューで、今度第三弾が出ると知った「衣裳術」シリーズ。時々読み返してみてますが、北村さんの作品に対する情熱や哲学がとにかく物凄い。早くに失った父親から影響を受け、海外でたくさんのことを経験・吸収した若き時代から生き死を彷徨った壮絶な人生は、語る言葉全てに「命が漲ってる」という言葉がぴったり。単なる「衣裳」や「スタイリスト」の域ではない、全ての領域においてご自身で描く絵面が頭の中にあり、錚々たる監督や役者を相手に媚びることなく自分の信念を貫き、作品をこなすたびに命削ってきたのでは?と思うほどの情熱にただただ感服。

洋服に命が宿るってこういうことなんだ・・・とこの本を手にした時、納得しました。

「衣裳術」「衣裳術 2」。個人的には衣裳術の中で描かれてる「身体論」の話がとても面白い。深く納得。第三弾のお目見えを心待ちにしてるところです。

 

私たちは洋服が似合う人って「美人でスタイルが良い人」となんとなく刷り込ませられ、モテ服を意識したり、ヘアスタイルやメイクで少しでも綺麗で若くみせようとする人が実に多く、実際「美魔女」なんて言葉が巷を騒がせています。美人は何着ても似合う、それは至極当然。でも美人ということが返ってネックになってることもあると思うのです。

私が「素敵、おしゃれ〜!」と思う人って、特段美人でもなく、むしろウィークポイントを知っていて、あえてそれを活かすことを知ってる人。言葉置き換えると「雰囲気で着倒す」みたいな、「様」が感じられる人です。

 
(上)ルー・ドワイヨン下)クロエ・セヴェニーのお二人のインスタ。どんな服でも自分のものにする術をよくご存知。ルーさんなんかお花だって素敵な洋服にしちゃう!とにかくクリエイティヴな感覚は見ていて楽しくなります。独自路線でおしゃれ番長の座をキープし続けているお二人です。
 

ここで北村道子さんの本を引き合いに出すのは、烏滸がましいにも程がありますが(笑)、著書を読み直し、あらためて思ったことは「服は、その人のアイデンティティを映し出し、自分を演出する道具の一つ。」

誰のためでもなく、誰かの真似でもなく、これからも自分のために自分らしくいれる服を楽しんでいきたい思いです。