「死ぬことを延ばす」ことはしたくない

認知症になった東大教授の夫が、家で「平穏死」を遂げるまで。そのとき、家族は何をしたのか_img0
書棚に並ぶ内村鑑三全集と家族写真(撮影:小川光)

――ご自宅での介護を決めたときは、専門家に相談などもされたのでしょうか。

真也 父は症状が進んで立てなくなってからは、ずっと自宅で寝て過ごしていたんですけど、2015年の夏に誤嚥性(ごえんせい)肺炎になって入院したんですね。そのときに点滴での治療後、自力で病院食が食べられない場合、「胃ろう」にするかどうかという話になって。ケアマネージャーさん、訪問介護の方、病院の方に相談して、最終的に「自宅でなんとか介護しましょう」と話し合って決めた感じでした。

克子 私、胃ろうはさせたくなかったんです。実は、四国にいた私の母は、いろいろな事情があって胃ろうを選択しました。でも、私たちがお見舞いに行っても反応もなくて。ただ寝ているだけなのね。母は胃ろうから2年生きて、最後は施設で看取ったんですけど。そんな母の姿を見ていたから、胃ろうは生きることを延ばすというより、死ぬことを延ばすだけなんじゃないか。そんなふうに感じていたんです。

 


子どもたちの支えが、夫婦の支えに


ーー病院や施設に入れることが、晋さんにとって必ずしもよい人生にはつながらないと……。

克子 そうですね。それにちょうど夫が寝たきりになった頃、真也さんが東京での仕事を辞めて、栃木に帰ってきてくれたんです。宇都宮に住んでくれて、夜中でもすぐ駆けつけてくれてね。それはすごくありがたかったですね。次女も元々アメリカで仕事していたんですけど、「パパが心配だから、もう私帰るよ」って言って帰国してね。

真也 本当は、しょっちゅう徘徊していた頃の方が母は大変だったと思うんです。そのときは、僕ら子どもたちは誰も実家の近くにいなくて。戻ってきたのが父が寝たきりになってからだったので、僕としてはいまだに後悔があるというか。

克子 いえいえ、あのときは帰ってきてくれて助かりましたよ。