静かな最期、よかったねという気持ち


ーー最期もご自宅で、ご家族の皆さんで看取られたんですよね。

克子 最期は静かに死んでいきましたね。それを見て私は、彼はやっと自分の重荷を神様にお任せしたんだなって。夫も私もクリスチャンなんですが、寝たきりになって、発する言葉も不明瞭になっていたあるとき、「君はなんで信仰に入ったの?」って聞かれたんです。今まで聞かれたこともないのにね。彼も病と共に過ごす中で、信仰について考えていたんでしょうね。脳外科医としてたくさんの患者さんを治療して、感謝してもらって、東大で教授にもなって。どこかで「自分はなんでもできる」っていう考えがあったと思うんです。傲慢さは、信仰とは両立しないんですよね。だから病を通して少しずつ信仰に立ち返っていって。最期はいい顔をしていましたよ。だから悲しいというよりも、よかったねという気持ちでしたね。

自宅で笑顔を見せる晋さん。(撮影:小川光)

ーー晋さんが旅立たれた後は、克子さんはどんな生活を送られているのでしょうか。

克子 夫より私の方がひとつ年上ですから、私にもそんなに長い時間は残されてないと思うんです。だから、今までできなかったピアノの練習をしたりしています。小学校のときに習っていただけだから、今弾いているのは練習曲なんですけどね。子どもたちは、小さいときにピアノを習っていたんですよ。ね、真也さん。

真也 僕はもう忘れちゃいましたけど(笑)。今は母が練習している自宅のピアノでよく弾いていましたね。

 

ーーお子さんたちが弾かれていたピアノで、今は克子さんが練習されているなんて、とても素敵ですね。晋さんも歌うのがお好きだったんですよね。

克子 讃美歌をよく歌っていましたよね。音楽はね、気分転換にいいんですよ。夫が亡くなってから皆さんに「寂しくない?」とか「夜は寝られてる?」って聞かれるんですけどね。こうして、ピアノを弾いたりして、なんとか暮らしてます。(真也さんを見てにっこりしながら)母は元気ですよ。


前回記事「東大教授の夫が若年性アルツハイマーに。初めてわかった「認知症は恥ずかしい病じゃない」」はこちら>>

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』
著者:若井克子 講談社 1540円(税込)

認知症患者800万人時代がくると言われる日本。元脳外科医で東大教授でもあった若井晋さんが自身の若年性認知症を受け入れ、公表をしたことは、同じ病と戦う当事者と家族に大きな勇気を与えました。50代半ばで認知症になってから74歳でこの世を去るまで、すぐ側で寄り添い支えてきた妻・克子さんが、認知症になった夫と家族の時間を、ありのままに綴ります。



取材・文/金澤英恵