「人生を変える旅。そんな旅が、誰にでもあると思う」。冒頭、そんな文章から始まるのは、50代半ばで若年性アルツハイマーになった夫との、人生という旅の記録を綴った若井克子さんの著書です。若井克子さんの夫は、元脳外科医で東大教授の若井晋さん。『東大教授、若年性アルツハイマーになる』という衝撃のタイトルが題された本の中には、妻・克子さんが見つめた夫・晋さんの認知症との戦い、介護の日々、そして何気ない日常の喜びが描かれています。
認知症が進行するにつれ立つこともできなくなり、「要介護5」の寝たきりになった夫。その弱っていく姿と、言葉にならない心の内を見つめ続ける中、克子さんは認知症の夫が抱える「さびしさ」を感じ取っていたといいます。会話がままならなくなった晋さんとの日々について、著者の若井克子さん、そして取材に同席いただいた長男の真也さんにお聞きします。
若井克子(わかい・かつこ)さん〈写真左〉
香川県生まれ。日本女子大学在学中にキリスト教に入信。卒業後は徳島県の県立高校などで家庭科教諭を務め、1974年、勤務医だった若井晋と結婚する。99年に夫が東京大学の教授に着任するが、若年性アルツハイマー病とそれにともなう体調不良により、2006年に早期退職。以降は、認知症の当事者とその家族として各地で公演活動を行いながら、2021年に夫が永眠するまでサポートを続けた。
若井晋(わかい・すすむ)さん〈写真右・故人〉
群馬県生まれ。東京大学医学部卒業後、内科勤務ののち、脳外科医を専門に。台湾や国内の病院で脳外科医、脳外科講師を務め、東京大学の教授に着任。2008年に自身がアルツハイマー病であることを公表。2021年2月10日に逝去。享年74。
「頷き」に感じる、強い意志
――晋さんは68歳というご年齢で「要介護5」の寝たきりの状態になり、次第に言葉を発することが難しくなっていったそうですが、どのように接していらっしゃったんでしょうか。
若井克子さん(以下、克子) 話しかけても返事がないことも増えたんですけど、これまでと変わらず、普通にしゃべりかけていました。私の話がわかるのか、わからないのかは、こちらが勝手に判断できないですからね。言葉じゃなくて「うん」って頷くこともありますし。でもね、「いいえ」はできないの。大体いつも縦に「うん」。横に振れないんですね、きっと。体のあちこちが麻痺しているからね。
若井真也さん(以下、真也) 父の顔を見にきたとき、家にいる間はほとんど反応がなかったりするんですけど、帰り際にね、大きく頷いたりするんですよ。それがすごく意思を持って頷いているっていうのは、わかるんですよね。
克子 そうね。パパ、わかってるんだな、と思ったりしたよね。
「仲間外れにされたくない」のは、きっと私たちと同じ
――言葉は発せなくても、嬉しそうな表情をされることもありましたか?
克子 (暖炉の上に飾られた家族写真を見ながら)あんな写真みたいにね。あれ、精一杯嬉しそうな顔ですよ。顔にこわばりも出てきたので、なかなかうまく表情に出せないんですけど。家族といるときは、僕はひとりぼっちじゃない、自分もみんなと一緒にいられるっていう、そんな気持ちだったんじゃないですかね。
――「ひとりぼっち」という言葉に重みを感じます。本の中でも、ご夫婦が一緒にいるとき、皆さんが「言葉を発せなくなった晋さん」を見ずに、いつも克子さんだけを見て話す。その憤りを綴っていらっしゃいましたね。
克子 認知症なのだから、こちらの言うことなんてわからないんじゃないか。そうやって会話の輪から外してしまうのは、差別だと思うんです。もちろん、返答があってこそ会話は成り立つけれど、認知症になって言葉が出てこなくなったって、「会話から外されたくない」「仲間外れにされたくない」っていう気持ちはあるんじゃないかしら。私はそう思うんですよね。
真也 ただ、難しいですよね。やっぱり反応がないとしゃべりかけづらいですし。そこは母の気遣いかもしれませんが、父が会話ができなくなっても、今までと変わらず話しかけ続けていたのは、なんというか、すごいなと思っています。
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