絵の仕事はライフワーク。むしろ二足のわらじでOK


「昔お仕事をいただいていた出版社から福岡でもできるお仕事の依頼があり、再び二足のわらじ生活が始まりました。とはいえ、どうしても塾の仕事は相手がある仕事なので時間的に優先されます。こうなったら、早起きするか、週末の休みを使うかしかありません。

家事、育児、塾の経営に加えてイラストの仕事は、体力的にはハードでした。でもイラストの仕事は心の支え。自分自身が本当に好きなことで、心から楽しんでいました。

収入で言えば、塾の経営に比べて微々たるもの。その割に時間もパワーもかかります。それでも、この仕事は絶対に切らさない、自分からは手放さないと決めていました」

NOKOさんが、いかに絵を描く仕事が好きなのかが伝わってきます。そしてもう一つ、二足のわらじの先輩として大切なことを語ってくれます。

「本当に好きなことだったら、いわゆる本業じゃなくても全然構わないと思います。私は子どもたちの進学費用を稼ぐために塾の経営を続けましたが、だからと言って手を抜くようなことはありませんでしたし、それも楽しんでいました。そのおかげでイラストだけで必要なお金が稼げなくても気にならず、よりそちらも楽しむことができました。

人に必要とされていると感じながら生活の糧が稼げて、自分が心から楽しい仕事を続けられる、そのことが大切。それが二足のわらじのいいところですよね。本業、副業って杓子定規に考えるよりも、状況に合わせて柔軟に対応しながら、好きなことは極力やってみるのがおすすめです」

 

2022年に60歳を迎え、かねてから決めていた通り、塾を譲って東京に戻ってきたNOKOさん。塾の経営とイラストレーターの二足のわらじ生活は16年におよびました。

ご主人も東京勤務になり、お子さんたちも東京の大学を卒業、60歳を過ぎたら一区切りにしようと決めていたと言います。

 


「イラストの仕事は依頼がある限りは続けて、ほかの仕事はもう引退かな、と思っていたのですが、もう一つ違うお仕事がしたいなって思っています。ソワソワしちゃって、求人広告をチェックしたり。もうすっかり二足のわらじ体質です(笑)」

働き方のパターンはさまざまに変化し、もはや本業と副業を区別する必要性も薄れています。そのような時代において、NOKOさんのような柔軟性、秘めた信念、一つひとつの仕事を決しておろそかにしないプロフェッショナリズムこそ、パラキャリアを実現する秘訣なのかもしれません。
 

イラストレーター
NOKOさん
1960年生まれ、石川県金沢出身。18歳で単身アメリカに渡り、語学学校に通う。帰国後、大手航空会社のCAに。10年間フライトをした経験をユニークなイラストで描き、人気を博す。著書『NOKOの笑うCA』
▶Twitter:@NOKO64624906
取材・文/佐野倫子
構成/山本理沙
写真/高山浩数さん
イラスト・スナップ写真提供/NOKOさん

 

 


前回記事「「夫の転勤で、私の仕事がゼロに...」子どもの学費を稼ぐため、選んだ驚きの仕事とは?」>>