‘90年代に大ブームとなったコント番組『夢で逢えたら』。オンタイムで見ていた読者も多いと思いますが、中でもキュートなルックスでトボけた言動を繰り出す野沢直子さんは、強烈な存在感を放っていたものでした。

しかし野沢さんは、人気絶頂の中、突然渡米。現地で新たなパフォーマンス活動を始め、やがて結婚。3人の子をもうけ、活動を続けながら子育てし……と走り続けているうちに、気づけば59歳に。お会いすると全く変わらない印象ですが、何と来年還暦を迎えます。

その節目の年を前に、このたび自身の“老い”に関する思いを語った著書『老いてきたけど、まあ~いっか。』を発売。その1冊から感じたのは、「老いへの切迫感とはこんなにも突然押し寄せてくるものなのか……」という衝撃でした。

 

野沢直子さん(以下、野沢):40代までは何も考えていなかったんですよ。30代の頃に比べたら体力が落ちたなあ、ぐらいで、でもまだまだ全然やれる、という感覚でした。私は更年期もめまいが少しあったぐらいで、ほとんどなかったに等しかったので、ずっとこの調子でいけるんじゃないか、ぐらいに思っていたんですよね。

 


それが突然変わったのが、父親の死だったそうです。

野沢:うちの父は4回結婚をしていて、最後まで彼女もいて、朝からステーキを食べていたほど元気な人だったので、病気とか介護とか無縁だと思っていたんです。それが6年前、私が53歳のときに、弟から「具合悪いらしいよ」と連絡がきて。「えっ、まさかぁ~」と信用していなかったぐらいだったんですけど、夏前に出稼ぎで日本に帰ってみたら、痩せ細って床に臥せっていて。何とかトイレには自分で行ける、という状態だったんですけど、それも私が滞在していた2,3週間であっという間にできなくなって。慌てて救急車を呼んだら即入院となったんです。

そこから急転直下で、介護というものが現実になってきます。

野沢:介護保険とか、退院したら老人ホームに入れるのがいいのかとか、父はアル中でもあったので先に治療施設で治すべきなのかとか。さらには、そうなったとき自分が日本に帰って世話をするべきか、アメリカに呼ぶべきか、ヘルパーは? とか、そもそもお金はどうする? とか、決めるべきことがワーッと降ってきて、「親の介護ってこんなに大変なの!?」と衝撃を受けたんですよね。

好き勝手していた父だったから、ずっと恨んでいて、「早く死ねばいいのに」と思っていたこともあったんですけど、いざとなると、一瞬にして「死なないでほしい!」となって。その頃うちは息子がまだ高校生だったんですけど、大学用に取っておいた貯蓄を父の介護に回せ、と迫られているような気もして。最終的に父は退院前に亡くなってしまったので、私は介護を経験することはなかったんですけど、このことで介護って物理的にはもちろんだけど精神的な負担もすごいんだなと痛感しましたね。