ホームでもアウェイでもある「寄席」で見せるのは、ちょっとだけよそ行きの顔
――一之輔さんのお話を聞いて、落語に興味を持った人も多いと思いますが、実際に足を運ぶとなるとハードルを感じる人がいるのも確かです。落語の魅力を一言で伝えるとしたら、それは何でしょうか?
一之輔:落語って分からなくてもとりあえず聴きに行くのでよくて。そこで噺家の“推し”みたいのができるといいんですけどね。続けて観に来てくださるんですよ。見た目がいいとか、話が面白いとか、自分と感性が合うとか、なんでもいいのですが、噺家はそういうのを見つけやすい人種だとは思いますね。
お芝居って誰かひとりが良くても、脚本がとか演出が……とか思っちゃう場合があるじゃないですか。でも落語家ってひとりひとりが一回ずつ出てくるから、今の言葉でいう“推し”が見つけやすいと思います。あと、古典落語って言いますけど、内容は現代でも通用するんですよね。言葉の難しさは一切ないから日本語が分かれば楽しめると思いますし、案外ドラマティックな噺もあったりするでしょう?
その一方で、まったく内容はないけれど、ただおかしいという噺もあって。噺の種類を考えると間口は相当広いと思うんですよ。本当に涙が出るような劇的な人情噺もあれば、「これ何?」って、いい意味でヘン……という噺もあって。ただオジサンとオジサンが会話している会話劇みたいな滑稽噺もあるし。もうひとつ、古典落語の中には、「ちょっと足りない人」も仲間に入れているという、昔ながらのコミュニティの良さみたいなそういう温かさもあったりね。
――一之輔さんを“推し”としている方々は熱狂的な方も多いと聞きます。
一之輔:ありがたいことです、本当に。毎日のようにおいでいただいている方も多いですしね。
――一之輔さんは寄席と独演会と、どちらに足を運んでほしいと思っていますか?
一之輔:どっちかって言ったらどっちにも来ていただきたいですね(笑)。どっちの自分も見てもらえればと思います。
――それは、寄席と独演会では、一之輔さん自身が違うということでしょうか?
一之輔:違うと思います。同じになるのがベストなんですけどね。寄席の僕は……、そうだなぁ。例えて言うなら、【家の近所を散歩しているオジサン】みたいな感じですかね。独演会は【家の中で家事をしたり、ゴロゴロ転がったり、グダグダしている自分】です。寄席のほうが、半袖短パンなんだけど、ちょっとよそ行きというか、ね。「みんな見てください!」という、そんなところがあるかもしれないです。
寄席は自分以外の人を見に来ている方がもちろんいるから、間口を広く。ホームでありながらアウェイでもあるというのが寄席なので、そこには自分の役割というのがあります。傍若無人に独演会のようにやるよりは、最初のほうの出番だったら、落語を好きになってもらう“窓口”になりたいですね。だから、そういう自分も意識しています。寄席と独演会と、同じ自分になれればいいんですけどね。どっちから入っていただいても大丈夫ですよ。
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