「愛される」と「気に入られる」は、違う


恋愛においては、相手に好かれるために容姿を磨くことは、得策にはなり得ます。ただし、だから「愛されるか」というと、また別の話なのです。
「このカバン、素敵だから欲しい」というのと同じような感覚で、容姿端麗の人をパートナーにしようとする人は意外といます。
そういう人は、もっと素敵な人が現れたら、さっさと心変わりをしてしまうこともあります。

これもある意味、先ほどの「自分にとって都合のいい人間だから好き」と似ています。ルックスのいいパートナーがいると、「自分の気分がいい」「周りからの自分の評価が上がる」から求めているだけのことも。
そこにあるのは、「相手の自己都合」であり、自分は「愛されている」のではなく、「気に入られている」だけのことも少なくないのです。

 

愛される人になるために大切なこと


では、愛されるためには、どうしたらいいのでしょうか?
極端なことを言ってしまえば、「“人を愛せる人”と関わること」です。

本来、人は「愛する能力」を持っているはずなのですが、それを見失っている人は少なくありません。それはなぜかというと、この競争社会の中で劣等感や自己嫌悪に苛まれてしまい、「自分のことすら愛せていない人」が意外といるからです。

自分を愛せない人は、人を愛することはできません。自分の内側に愛を持っていない(=足りない状態)だからです。だから、人を愛する(=愛を与える)よりも、人から愛されること(=愛をもらうこと)ばかり望んでしまいます。
逆を言えば、自分を愛し、自分の内側から愛を増やすことができている人が、人にも愛を与えることができるのです。

それは、親子間でも言えます。単に親になったからといって、子供を愛せる人ばかりではありません。なかには、自分にとって都合が悪いと愛せなくなったり、ありのままの子供を受け止めようとせずに、理想を押し付けてしまったりする親もいます。
それは、親が自分自身を愛せていないため、子供を愛するには「自分の中にある愛が不足している」ことが多いからです。
そういう人は、まず、自分を愛し(&許し)、自分の内側から愛を増やしていくことを学んでいく必要があるのです。

ただし、自分のことは変えられても、人のことは変えられません。自分の生まれ育った家族は仕方がありませんが、基本は、愛せない人に愛されようとするよりも、はじめから「愛せる人と関わっていく」ほうがいい関係が築けることは多いのです。

私たちが目指したほうがいい「愛される人ができていること」があります。それは何でしょうか。次のページで紹介します。