「何らかのカタチで世に出すべき」。10年前に抱いた思いが映画化


——映画『ロストケア』は松山さんと前田監督が約10年前から温めていた企画だそうですが、そこまで強い思い入れを持った理由を教えてください。

松山ケンイチさん(以下、松山):10年前の僕は20代でしたが、当時、雑誌の対談企画をきっかけに自分の死生観を見つめ直したことがあったんです。この先、どんな生き方をするかを見定めるためには、どんな死に方をしたいかを考えなければいけないな、と。そんな意識を持っていた時期に、たまたま前田監督から原作小説を紹介してもらって、読んでみたら、すごく考えさせられて。この本に描かれている情報は、何らかのカタチで世に出すべきだと思いました。

 

——原作小説が発売された10年前に比べると、介護に追い詰められている人々の存在や、介護職のハードな労働環境がメディアで伝えられる機会が増えたと思います。「機が熟した」ことで10年越しの映画化が実現したのでしょうか?

 

松山:そうですね。僕が演じた斯波宗典は、父親の介護の負担が大きくて貯蓄がなくなり、誰も頼る人がいなくて生活保護を受けようとするものの、条件を満たしていなくて却下されています。それをきっかけに殺人に至るわけですが、現実の社会でも彼のように孤立している人がいることを思うと、すごく悲しくて。日本の問題を考えるきっかけとして、インパクトがある物語だと思いました。

だけど、わざわざ看護や死という重くて生々しい問題と向き合いたくない人も多いだろうし、10年前は今と比べると介護にまつわるさまざまな状況が認知されていなかったと思います。でも、現実で起きた介護殺人がニュースで伝えられるようになり、今はたくさんの人がその問題に気付き始めたからこそ、今回の映画が成立したのかなと。今、生まれるべくして生まれた作品なんだと思いますね。
 

——介護士として働いていた斯波は42人もの老人を殺めていたことが発覚しますが、取り調べでは一貫して自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であると主張します。その根底にあった信念をどのように捉えていましたか?

松山:斯波は殺人衝動に突き動かされた異常者ではなく、普通の青年だと捉えていました。介護の負担で追い込まれている人がいたり、死にたいと思っている被介護者がいることを世の中に教えるための手段として殺人を積み重ねている。見て見ぬ振りをされている問題に注目が集まるように、自分でも間違っていると分かっているけど、「誰かがやらないといけない」という気持ちだったのではないかなと。劇中でそこまでは明言していないですし、さまざまな捉え方があってもいいと思いますが、この映画がたくさんの人にとって「生と死」や「正義」について考え直すきっかけになって欲しいです。