幕末の彼らも今の僕らと基本的には変わらず、日常を転がしている


ある大雨の日に、雨宿りする中次と矢亮。相棒がいなくなったばかりの矢亮は、いまひとつ儲けの悪い屑拾いで生計を立てる中次に、「一緒に汚穢屋をやらないか」と誘います。歯切れのいい江戸弁で無駄話を続けるインチキ男・矢亮と、矢亮のからかいに時に呆れ時にムキになるマジメな中次。「弥次喜多」を髣髴とさせるこのふたりのやりとりが楽しいのは、そのベースに演じるお二人の関係性があるからかもしれません。

 

寛一郎さん(以下、寛一郎):壮亮さんと初めて会ったのは、僕が役者をやる以前の10代の頃。たまたまお会いする機会があり、そこからはたまに「調子どう?」っていう感じで気にかけてくれて。大好きなんですけど、今回共演することになって、結構緊張してました。

 

池松壮亮さん(以下、池松):寛一郎に対する気持ちは、ちょっとほかの俳優の方と違う、なんだか特別なもので。それはもう寛一郎が持ってる定めだと思うけど、(佐藤)浩市さんがいて、寛がいて、親子共に大好きな俳優さんです。

寛一郎:僕自身、自分の芝居を見ると父の姿がちらつきますから。しょうがないですよね、血繋がっちゃってるんで(笑)。

池松:僕は浩市さんに色々見てもらいながら育ってきたような感覚があって、寛との初共演は、親戚の子と共演してるような身近さがありました。今回は特にそういった間柄を利用しながら、楽しくあの2人を作っていけたらなと思いました。

寛一郎:僕にとって壮亮さんは、親戚のお兄ちゃんじゃなく、尊敬する俳優さん。壮亮さんって、大きく、ゆっくりと、池松壮亮を見せるじゃないですか。それが安心感でもあるし、怖くもあるし。

池松:脚本に描かれているものに、その時その時に出てくるものをプラスしながら。たまたま出会った兄弟のような、そこに黒木華さんも加わって、雨宿りで出会った3人を映画に定着させたいと思っていました。

 

寛一郎:登場人物の関係性とか、彼らの持っている時代精神のようなものは、基本、今の僕らと変わらないと思っていました。セリフ回しもそこまで時代劇っぽくないし、殺陣をやるわけでもないし、割と自然体だった気はします。

池松:中次と一緒に、なんでもない日常を、情緒を転がしながら、『ゴドーを待ちながら』(※)みたいになったらいいなと思っていました。

※サミュエル・ベケットによる不条理演劇の名作。2人の男がゴドーという人物を待ち続ける。

寛一郎:それは最初に言ってくれましたね。これ『ゴドー』だねって。

池松:何かを待ってる。次の季節なのか、次の時代なのか、本人たちにも何かはわからないけど待っている、祈っている。そういうことを、重くならずに見せていけたらなと思ってました。