こんにちは、エディターの昼田です。
買うのは簡単。「手放すこと」がこんなに難しくて苦しいとは。
私の断捨離体験をふりかえって良かったと思うことが一つだけあります。それは「捨てない」という選択肢を持たなかったことです。つまり、捨てるしかない。時間はかかるかもしれないけれど、絶対に捨ててやる。冷静に考えてモノに自分の価値が乗っ取られているって変だ。モノを捨てたところで、私らしさは何ひとつ奪われないはずなのにどうして? 絶対に捨てられるはずだ。
⚪︎枚に絞ろうとしないで、行き着くところまでいってやる。捨ててやる。クローゼットが空になっても構わないと覚悟しました。
こんなに自分を追い詰める必要はなかったかもしれませんが、ファッションエディターとしての意地があったのだと思います。洋服のことを誰よりも真剣に考えてきたからこそ、なぜこんなふうに人と洋服がベッタリとくっついてしまうのかが知りたかった。一体何が接着剤になっているのだろうか。自分なりの答えを出したいと思ったんですよね。
それから、自分のクローゼットなのだから自分で決着をつけたかったのもあります。もう、意地です(笑)。
振り返るとそれは「腹を括った瞬間」だったと思います。
洋服を手放せないのは、「恐れ」があるからです。
服がなくなったら、ダサいと言われそう。
ファッションエディターなのに……と陰で言われるのかもしれない。
存在感のない人になっちゃうんだろうな。
その恐れを把握した上で、もういいやと覚悟を決めたんです。
私は、ダサいと言われてもいい。
私は、素敵だと言われなくてもいい。
ファッションエディターなのに、と陰口を叩かれても構わない。
私は、存在感のない人になっても構わない。
腹をくくるとね、今度は開き直りの精神が出てきます。
もう私はダサい人間に成り下がったのだ。
そもそもダサいのだから、何を着てもいいやってね。
この立ち位置になったとき、本当の意味で「おしゃれの自由」を手にしたのだと思います。
そもそも私はダサいのだから、同じものを着たっていいじゃないか。
そもそも私はダサいのだから、着たいものを着てやろう。非難されてもいいのだ。
洋服を買う時にも「どう見られたい」が一切なくなったのです。自分の心が本当に欲しいと思ったものを、誰の評価も気にせず買えるようになっていました。だって私はどう足掻いても、そもそもダサいのだから。
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