一家に訪れた修羅場


英太さんの伴走が減ると、少々スランプだった息子さんの成績は不思議なことに少しばかり向上したといいます。オーバーワーク状態だったのが、少し整理され勉強効率が上がったのかもしれません。

このままうまくいってくれれば……響子さんは祈るような気持ちで本番を迎えます。トップクラスだった息子さんは、塾の直前特訓などの授業料は割引になり、関西の学校を受験したときの宿泊代などを補助してもらう提案も受けるほどでした。

「その代わりに、最難関の3校に合格してほしいというのが塾の思惑でした。夫はもちろん関西の学校にも挑戦する『星取りツアー』に乗り気でしたが、私は息子に無用なプレッシャーをかけたくないため断固として反対。なんとかふたつの学校の受験で合意しました。

そうして臨んだ入試本番の朝。息子は朝4時に青い顔で自室から出てきて、『緊張で眠れなかった。頭が割れそうに痛い』と言うのです。私はまだ寝ている夫に気づかれないように6時にセットした目覚ましを咄嗟に7時に変え、薬を飲ませ、息子の背中をゆっくりとさすりながら、『まだ3時間もあるから。ゆっくりしてからいこうね』と唱えました」

12歳の男の子の肩に、どれほどの重圧がかかったのでしょう。響子さんの機転のおかげで、息子さんは3時間眠り、なんとか頭痛も消えて試験を受けることができました。

しかし結果は最難関とされる2校ともに不合格。直前の模試では合格率80%以上と出ていたにも関わらず、まさかが起こってしまいました。

「夫は咆哮し、何かの間違いだ、繰り上がるはずだと叫びます。息子は、絶対に塾には連絡しないで、もう二度と電話しないでと泣きました。これ以上考えつかないくらいの『失敗受験パターン』です。不合格が失敗じゃないんです。息子はとてもいい校風の学校に合格をいただいたのですが、彼は『誰にも進学先を言わないで』と頑なでした。パパと塾に合わせる顔がないと顔を上げません。

それを見た私も、やっぱり普通の精神状態じゃなかったんでしょう、『あなたがこんなにあの子を追い詰めたのよ! もう二度とあの子の自己肯定感を下げるようなこと、言わないで』と叫んでしまいました。

……お恥ずかしいくらいの地獄絵巻です。受験ひとつで家族がぼろぼろに崩壊してしまいました」

取材も終盤ですが、思わず沈黙してしまうほどの状況です。ここに全ては書くことができませんが、英太さんは中学受験の狂気に飲み込まれてしまったこと以外は充分にいい夫であり、父でした。響子さんもまた、普段であれば夫に追い打ちをかけるような方ではありません。

お2人はそれまでほとんど困難らしい困難がない結婚生活でした。経済的にも余裕があり、性格も我慢強く穏やか。もちろん不倫なんかとは無縁ですし、お互いの欠点を程よく見て見ぬふりをする賢さもありました。他人の目には、修羅場になったその時でさえ、理想的な家族に見えていたのかもしれません。

しかし、どんな夫婦にも長い人生で困難は訪れ、ときに崩壊のきっかけになりうるのです。

「怖くて、池の周りを4時間歩いた」中学受験直前、トップ独走だった息子の叫び。妻が聞いた、夫の残酷な言葉とは?_img0
 

その後、合格した学校に進学した息子さん。ところが夏前には学校に行けなくなり、進級することなく退学してしまいました。

 

それを見て、また家族の中の誰よりもショックを受けたという英太さん。混乱し、「あんな学校にさえ通えないのか」などと口走ったそうで、それをきいた響子さんは「まずは息子を夫の傍から離して、解毒する必要がある」と考えます。息子さんを連れて少し離れたエリアの小さなアパートで別居、学校もそこから公立中に通わせることに。

「そこからなんと2年、私たち家族は別居しました。息子の高校受験は、夫には口出しさせませんでしたね。息子は充分、傷ついたし戦った。もう彼が好きな学校に行ければいいと腹をくくりました」

無事に高校に入学した息子さんは、今では不登校が嘘のように学校に通っているそう。偏差値で言えば、響子さん曰く「かつて通っていた中学の半分くらい」と笑いますが楽しい学校生活とのことです。

気になる英太さんは……? と尋ねると、響子さんは意外なことをおっしゃいました。