「猫互助会」メンバーの支えもあって、無事元の生活に戻ることができました。しかし、2022年12月に、にゃびしが突然の病でこの世を去ってしまいました。毎朝私を起こしに来るにゃびしが来なかったので、気になって病院に連れて行ったのですが、その時は「様子をみましょう」ということになりました。しばらくしても元気がないので、再び病院で検査をしたら、肝臓の数値が悪くて即入院。3日後に病院で亡くなってしまいました。

にゃびしが亡くなった日の早朝、私は夢をみました。病院にいるはずのにゃびしが家にいたのです。「うちに帰れてうれしいからにゃーにゃー鳴きたいんだけど、バレちゃうから我慢してるんだ」と言った時に夢だと気づいて目が覚めました。その直後に、病院から電話があり、にゃびしが息を引き取ったと伝えられました。にゃびしは私のところに会いにきてくれたんだと思います。

病院でにゃびしを引き取って家に連れて帰りました。にゃびしの亡骸を見た時のフリーにゃんの表情は今も忘れられません。「だめだったんだ」という顔をしていました。ずっと一緒に暮らしてきた家族ですからね。にゃんじの時は闘病生活が長かったのでいろんな思い出が残っているのですが、にゃびしは入院して3日という急な別れだったので、あっという間過ぎて実感がわきませんでした。

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朝ごはんを待つフリーにゃん(写真左)とママン

今はフリーにゃんとママンとの“3人”暮らしです。ママンは人が来ても押入れなどに隠れていることが多いのですが、フリーにゃんは17歳とは思えないほどで、見た目も動きもまるで子ども。初対面の人にもすぐになつきます。新しい猫を迎え入れたい気持ちはありますが、こればっかりはご縁。自分から積極的に探しているわけではありません。私ももう50代で、自分の方が先に死ぬ可能性を考えるようになりました。もし迎え入れるのであれば、シニア猫の方がいいのかなとも思いますが、この家になじんでいただけるか、猫さんの気持ちが最優先になるでしょう。

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歴代にゃんずたちのお骨は、大切に並べられている。「私が死んだら、このお骨をどうすべきかも考えなくてはいけませんね」(熊本さん)

私は猫の保護者だとずっと思っていたけれどそれは大きな間違いで、猫が高齢になるほど、本当は私の保護者なのだと感じるようになりました。私の体調が悪い時、落ち込んでいる時、家族に不幸があった時などを支えてくれました。20年近くもそばにいるシニア猫は、誰よりも私のことをわかってくれる、“人生の目撃者”です。

いつか来るお別れのことを考えると悲しいですが、覚悟はできているし、しっかりと見届けるのも猫飼いの宿命。シニア猫に限らず、猫の命をお預かりすることでたくさん教えられています。旅立った後も、人生を豊かにしてくれたという感謝が残ります。私もにゃんずのために健康でいなくてはなりません。

 


イラスト/Shutterstock
文、編集/吉川明子 

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